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バガン観光へ戻る(2014.02.10〜02.11)
チャイティーヨー観光(2014.02.08〜02.09)


ヤンゴン市内観光 2014.02.12(水)この日はミャンマーの祝日


バガン旅行の運転手をしてくれたT氏を家に送って、午前3時40分にヤンゴンのブリスホテル(BlissHotel)着。フロントは開いていた。

午前中は、ホテルで寝て、午後0時からヤンゴン市内散策。今日は自由行動日だ。

ブリスホテルは、中華街の西端にある。昼食に、ホテル近くのICB(アイスクリームバー)へ行く。

えんじ色のメイド風制服のウェイトレスがいる。この店には、9日夜にも来た。「英語メニューがある」「wifiが使える」「トイレがきれい」「食事が出来る」などで再訪となった。

エスプレッソダブル、写真のスパイシーミートボールスパゲッティ、アイスクリームで5100ks。12:14

ミートボールは冷凍解凍を繰り返したような味だったが、それ以外は普通の味だ。量は少ない。私が時々行くファミレス「五右衛門」の半分だが、これが東南アジアの標準量だろう。日本人は食い過ぎだ。だから私のように肥満になるんだと反省した。
しかし、中国人は日本人の1.5倍量、欧米人は2倍量食べるのが標準という記事を見たことがあるゾと言い訳しながら、私はアイスクリームを追加注文し、コーヒーに砂糖を匙2杯半とミルクをなみなみと入れた。

3人分。

店を出る。12:35

12:41

12:41


Y氏がすいかを買った。ご相伴し、食べる。美味い。12:43

ここで仲間と別れ、単独で歩いてスーレ・パゴダ(SulePagoda)へ向かう。

4日前の2月8日(土)に食べた、ミャンマーで一番美味しいという鳥そば屋は、写真中央奥の2階までが空色で3階以上がピンクビルの手前だ。写真右の黄色い看板「瑞利○金鋪」から右側200mが中華街一番の繁華街になる。正面の通りはSint Oo Dan Rd。12:45

大きい写真
道路の信号は車用だ。歩行者が道路を横断する時は、自己責任で車の合間をすり抜ける。

左の赤い看板のところの露地を入ると、9日に行った串焼き屋(WinRestraunt)だ。12:53

12:54

ホーチミンなどと違い、ヤンゴンの中心部は、電線の地中化が進んでいる。

スーレ・パゴダが見えてきた。13:05

この辺りの露天でヤンゴン地図を買う。片面がヤンゴン地図、片面がミャンマー全土の各州地図。この時点で、ミャンマーに関し持っているものは、ホテルの名前と住所が書いてある紙だけだった。


スーレ・パゴダ(Sule Pagoda)

スーレ・パゴダ着。13:17

13:23

13:25


スーレーパゴダの入場券。3000ks。

胸シール(50mm)



ヤンゴン駅へ歩いて向かう。

スーレパゴダ前からヤンゴン駅方向。
日立のビルはサクラタワー(SakuraTower)という。駅はまでは、ここをまっすぐの一本道だ。13:30


上写真の歩道橋上からのスーレパゴダ。13:39

時間はたっぷりあるので、寄り道し周辺のダウンタウウンを散策することにする。

14:00

14:01


街中を神奈中バスが走る。
側面に「神奈川中」とまで書いあるバスも見た。
日本の左側通行で元々付いていた乗降口が反対側にもある。乗降は両側で行う。車掌が乗っている。14:05

これは横浜市営バスが前身だろう。

京急、小田急、都営などの模様のバスもある。ヤンゴンの路線バスは神奈川県系が多いようだ。神奈川県内の中古バス下取り業者から買っているのかな?
観光バスは全国から集めているようだ。九州(西鉄)から北海道(道?)までの観光バスを見た。
バスや自動車、トラックの塗装がきれいなのに、日本語が書いてあったりする。元の色や文字に塗りなおしているからだ。電話番号などは消されている。
今は、路線バスの運行会社や運行自治体には、独自のバスカラーを塗る慣行が無いのだ。昨年に新車輸入が解禁されたので、今後は独自カラーとなってゆくのだろう。数年後にでも再訪問したらチェックしてみたい。

今回の旅行では路線バスに乗らなかった。Kさんご夫婦からは「路線バスにはスリが多いから、乗らないほうがよい。」と忠告されたこともあるが、観光案内書を持っていないので、乗り方が分からない。この年になると、乗りたい気持ちと面倒臭い気持ちをテンビンに掛けると面倒のほうが重くなるものだ。


この散策中に、腹の調子が悪くなり、一旦タクシーでホテルへ帰ることにする。2000ks。

ホテルで休む。


ヤンゴン中央駅(Yangon Central R.S)

15:20頃ホテル前でタクシーを拾いヤンゴン中央駅へ向かう。2000ks。

駅内。15:38


15:51


15:55

大きい写真
ヤンゴン駅から徒歩5分ぐらいのサクラタワーまで歩こうとしたら、駅を出たところで、若いミャンマー人が英語で話しかけてきた。英語の勉強で話しかけたいという。英語はこちらもヘタなので申し訳なかった。サクラタワーの手前で、元気よく挨拶して離れていった。
サクラタワーから中華街までタクシー移動。来た時より短い距離なのに、乗る前に交渉をしたら3000ksと言う。了解して乗った。中華街を散歩してから、ホテルへ帰る。

ちと早いが夕食にミャンマー最初の食事をした鳥そばの店を再訪した。今回は「鳥汁なしそば」。
一昨日にKさんの奥さんから教えていただいた通り、3行しか書いていないメニューの真ん中を指したのだ。そしたら汁なし鳥そばが来た。ミャンマーでは汁なしそばが一般的だ。16:52

油っぽいが美味い。左上に写っているスープが秀逸。

鳥そば屋の前。地震のある地域だが、建物はレンガを積み上げてあるだけなのかしらんと、ちと心配する。近くで建築中の建物は鉄筋コンクリートだった。

風邪気味なので再度ホテルへ帰る。17:30

落ち着いたところで、ホテルのレストランでインターネットをする。

先に帰っていたY氏からヤンゴン一番の観光名所は、今日の昼間に行ったスーレーパゴダではなく、シュエダゴン・パゴダでだと聞き、シュエダゴン・パゴダへ行くことにする。
観光案内書が無いとこういうことが起きる。


シュエダゴン・パゴダ(Shwedgon Pagoda)

ホテル前からタクシーに乗りシュエダゴン・パゴダ入口へ。2000ks。

シュエダゴン・パゴダの入場券

入場料8000ks(チャット)。

入場券売場で靴を脱ぐ。混雑している入口にしては、靴置きエリアが小さくトイレ横に3〜40足分の棚しかない。しかも半分以上空いている。有料で靴を預かる受付があるのだろうと探していたら、係員がトイレ横の小さな棚の空きスペースを指差した。

周りを見たら、欧米系の団体さんが裸足で入門してきた。

入場券売場横のエレベータで2階に上がる。渡り廊下の先が参詣エリアだ。

18:36

このパゴダの参詣エリアは大きい。入場口は複数ある。自分がどこから入ったのかをとりあえず記録したのが上の写真だ。靴の元へ帰らねばならない。入ってまず入場口を振り向いたが目印となる文字表示がなかったのだ。
まあ、そんな用心をしなくても、胸シールのサインが入口毎に違い、係員に出口を聞けばよいらしい。私は、そんな仕組みを観光中に気づかなかった。
胸シール(50x50mm)。

私は南側の門から入ったので、上の胸シールサインはsouth(南)だ。

これは東門(east)から入った人のシール。

皆さん右回りに動いているのでそれに倣って歩く。

さすがのヤンゴン一番の観光名所だ。参詣客は素晴らしいものを見たときの驚嘆の顔つきで、威圧感のある巨大パゴダを見上げる。

大きい写真
日本での照明は、青空と大地の関係と同じで自然に近いという理由で、低い場所は白熱光色、高い場所は昼光色を使うのが一般的だ。そういう光は、他の組み合わせより居心地がよく心拍数が少なくなるという記事も読んだことがある。白熱光は昼光色の蛍光灯より手元が見易いともいう。
ここの上からナトリウム灯の黄色い光で照らされている中、目の高さにある仏龕(ぶつがん)内がLED電球の青白い光で照らされているのにちょっと違和感を持つ。仏龕内に置かれている釈迦像の青い光背とのバランスかな?

この黄金の礼拝堂では、お釈迦様の光背が青く点滅する。。18:38


下は2011.01に旅行した友人のシュエダゴン・パゴダ写真から。
このころ既に光背が発光ダイオード(LED)照明だ。

このころは、軍事政権で私と同じ時刻の訪問だがガラガラだったらしい。
18:42

ゆっくりパゴダを一周し、観光終了。

シュエダゴン・パゴダ前からタクシーでホテルへ帰る。ホテルの紙を見せ交渉したら3000ksだった。言い値で乗る。

19:00にホテル前でタクシーを降りたら、Kさんご夫妻が来ていた。予定外だが一緒に夕食やお酒を飲もうとお誘いにいらしたのだ。
私は夕食を既に食べていたのと風邪気味なのでホテルで休ませてもらった。


2月13日(木)

ミャンマー旅行、最後の日だ。
朝食はインターネットを使いながらホテルのレストランで食べた。トースト2枚に目玉焼き、ネスレの粉末コーヒー。1500kyats。


マイラムーパゴダへ向かう。9:22

タクシー車内。9:23

タクシー車内から。9:32

K氏も小学校時代に2回、各1ヶ月ほど仏門に入り、頭を剃って法衣でお布施をもらうため家々を回ったそうだ。

タクシー代5000ks。

動画

マイ・ラ・ムー・パゴダ(Mai La Mu Pagoda)10:06

入場時に靴を預ける。寸志らしいが、500ks。

遊園地のようで、大したところではなかった。10:07

10:08

今朝の出発前は、マイラムー・パゴダの次に70mの涅槃仏があるというチャウッタージー・パゴダ(Chauck Htat Gyee Pagoda)へ行こうと思っていた。しかし、チャウッタージー・パゴダは地図のパゴダ印が小さく、1966年建造という新しいパゴダであり、また風邪気味のこともあり行くのを止めた。


マイラムーパゴダからタクシーでボージョーアウンサンマーケット(Bogyoke Aung San Market)へ移動。
値段交渉したら「6000ks」という。「5000」と言ったら「5500」という。了解した。


ボージョーアウンサンマーケット(Bogyoke Aung San Market)
タクシーのドライバーに釣りはいらないと言って6000kyats渡して降りる。11:20

マーケット内。11:20

マーケット内。11:49


ハンドメイドのコップを買った。塗料を塗り重ね、傷をつけ模様にしている。しかし、日本へ持ってくる途中で何箇所か塗装が剥がれてしまった。7000ksを値切り5000ks。


ボージョーアウンサンマーケットマーケットを出る。11:53

歩いてホテルまで帰る。

昼食は油っぽいものに飽きていたのと、下手なものを食べて帰国途中に下痢症状に悩むのは嫌なので、安全なものをホテルの自室でとることにした。
中華街にあるホテル近くの食料品店でジュースとビール、パン屋でパンを買った。惣菜パンの値段は私の学生時代の価格だ。お土産になるようなものはないかとパン屋では店内を探したがなかった。惣菜パンを買いすぎた。チーズパンは日本で待つ、犬へのお土産になった。

今朝、ホテルで食べたトーストも、包装紙の模様からこのパン屋だった。今朝、レストランの係員がトーストやブレッド、パンという言葉が分からず、「これか?」と冷蔵庫から、このパン屋のロゴの入ったビニールで包装された食パンを持ってきたのだ。
我々段階の世代が顕著なだけかもしれないが、日本人の英語発音は世界で通用しない。どこかで書いたが、英語教育を漢文教育に倣って読み書き優先で教えてきたからだ。遣隋使の小野妹子も、中国語はしゃべれなかったろうが漢文を書けば長安に行って皇帝と意思疎通ができた。そのころの日本は独自の文字を持っていなかったので、口語は日本語、書き言葉は漢文だった。日本国内で1500年続いたその学習システムを、文明開化後の英語教育に適用してしまったのだ。

ホテルで休憩。

再度、ホテル近くを散策。15:25


3度目のICBでコーヒーとアイスクリーム。

ICBで見たスズメ。ICB インターネット

その後、ホテル横のヤンゴン川を見に行く。


シンオウダン通り埠頭(SinOhDanST.Jetty)

河物流の荷役場だった。
トラックの荷物を船に運ぶ。またその反対。16:28

上写真左側のふ頭では、刺青が入った気が荒そうで貧乏そうな男達がトラック横の米袋を担ぎ桟橋の船に積み込んでいた。
刺青をした人たちが貧乏なのは世界中どこでも同じなんだなあなんて考える。
貧乏だから刺青をするのだろうが、刺青をすると貧乏になるのも事実に違いない。
仕事やチャンスの門が狭くなるからなあ。

16:29


BlissHotel横の埠頭(Sint Oo Dan ST.Jetty)への出入り口。信号は、いつ見ても消されたままだった。ここは人とリヤカー用の出入口なのかな?交通量の激しい大通りに面している。道路横断のチャンスを待つのに時間がかかった。16:36

ホテルへ帰り、これでミャンマー観光を終えた。このときチャットは約20,000kyats残った。


17:00にK氏ご夫妻が夕食の迎えにホテルへ来た。

ヤンゴン最後の食事は北京ダックの店。ゴールデンダック(Golden Duck )の経営するジュニアダック(JuniorDuck)。

5人で行った。早い時間なのに混雑し、お目当ての2階川縁席は空いていなかった。2階道路側に席をとる。店の前には高級車がズラリと並んでいた。
北京ダックと揚げ魚のあんかけ、トムヤンクン、えび野菜炒め、チャーハンで1500円/人。



日本では、ペキンダックの皮を剥がして食べるが、ここはたっぷり肉も付いている。だからパリッとはしていない。また、皮は日本のように甘く味付けしていない。やっぱりと言おうか、しかしと言うべきか、それなりに美味いが上海や横浜中華街で食べたときのほうが美味い。スズキのような顔と味をした40センチぐらいの揚げ魚のあんかけが美味かった。チャーハンは食べられないほどの山盛りで出た。K氏が余ったチャーハンと魚を店からもらった黒いビニール袋に入れて持ち帰る。チャーハンは自分達、魚は近くに住む犬用だそうだ。ミャンマーでよく見る野良犬は、日本の地域猫みたいなものなのだろう。
しかしながら、放射能の心配をしないで魚が食べられるのは良いことだ。スズキやアナゴ、川魚は日本では放射能が高い魚なので、私は避けている。

スーチーさんの大邸宅、軍人出身のミャンマーで2番目に大金持ちという大々邸宅などを車で案内いただいてから、空港へ。
なお、スーチーさんの大邸宅はヤンゴンの一等地にあり広大だ。よくテレビに映る灰色の鉄門は、そのごく狭い一部だ。敷地のコンクリ塀は200m続き、その後ろの森で建物は見えない。

今回の旅行で何から何までお世話になったK氏ご夫妻。ヤンゴン空港で。20:50

ガラス壁のガラスのつなぎ目には所々、穴が開いている。K氏の左手がある場所も開いており話ができた。K氏ご夫妻、ありがとうございました。


ヤンゴン地図。スーレーパゴダ前の露店で3000ks。少し高めなかな?

地図の裏は、ミャンマー各州の地図。



ヤンゴンで泊まったブリスホテル(Bliss Hotel)はチャイナタウンの外れにある。K氏の友人の紹介でK氏が予約したから、外人にも安心なホテルだ。ダブルの一人利用で素泊り4000円/泊ぐらい。
ホテルカードを求めたら、分からない。「ホテルの名前と電話番号と住所を書いたカード。タクシーに乗るとき、私がそれをドライバーに見せるとここに着く。」と言ったら、領収書らしきものから定規で破いた紙を渡された。(下)

何度か使ったので破れてしまった。

同行の友人はホテルフロントの他の人に言ったら小さな紙に手書きで書いてくれた。(下)

滞在は、2/8(土)20:00から2/13(木)18:30まで(バガン旅行中も荷物置きとして使用)。
外国人は我々だけだった。外人用のホテルが不足し、この数年で3、4倍に高騰しているので、ミャンマー人用のホテルに外国人が泊まり始めたとの記事を読んだが、正にそういうホテルだ。
満足点。@安い。A清潔。部屋にハエがいたが、歯磨きもここの水道水を使った。Bホテルマンが親切。Cフロントは24時間。D歯ブラシ、歯磨チューブが出る。
不満を書くと@エアコンが16℃にディフォルト設定されているので、疲れて寝入ってしまうと、寒くて風邪をひく。実際を風邪引いてしまった。部屋に予備の毛布がない。Aインターネットwifi(パスワードはフロントで聞く)はGフロアのフロントやレストランでのみ使える。複数のPCが利用すると使えなくなる。しかし、使えると速い。部屋では使えない。B熱いお湯が出るが、湯船がない。シャワーだけ。CNHKが見えない。

次回ミャンマーに行くことがあったら、再度ここに泊まってもよい。
ということは、コスパが良く、サービスが気に入ったホテルということだ。

ミャンマービール。

ベトナムやカンボジアと同じ、薄い味のビールだ。ビールだからそれなりに旨いが、薄味なので物足りない。

部屋で飲んだアルコール、ジュース。

左端は、最初の日に買った寝酒用のミャンマー製ウイスキー。一番値段の高かったポケットサイズ。1280ks。安いスコッチよりも旨い。
真ん中は、ガバンのpopa山へ行く途中の油引きの牛がいるところで買った蒸留椰子酒。不味い。一口飲んで捨てた。ビンはミュンマー製ウイスキーの使い古しを流用していた。3000ks。
右は緑の蛍光色の1リットルペットジュース。前述のパンと一緒の昼食用なのだが、異常に甘く不味い。コップ半杯で降参した。パンは惣菜パンを5つ買ったがこの写真を撮る前に3つを食べ、2つはお土産にリュックにしまったので無い(1500ks)。
前の袋入り果実は、インドナツメ。ゴルフボールよりちょっと大きい、歯ごたえが硬いリンゴのような果物。酸味や甘味が少なく味気ない。ミャンマーの食べ物は油っこいものが多い。口直しにホテルで生野菜代わりにかじった。12個で50円ぐらい。梅のような種がある。露天の果物屋で一番の量が並んでいるのがインドナツメだった。おいしい果物ではないが次回ミャンマーに行ったらまた食べたい。2/13 14:00
下は拡大。


土産(食べ物)
右から椰子汁から作った砂糖(K氏からのもらい物)。多分、角砂糖のようなものだ。日本でコーヒーや紅茶のときに溶かして飲んでいる。真ん中はチャイティーヨーの麓で買ったレモン系のジャム状菓子(1000ks)、パパイヤのジャム状菓子(1000ks)。
その下写真は、チャイティーヨーの山頂で買った黒胡椒(1000ks)。そしてK氏からのもらい物のウイスキー。シーバス12年。



この胡椒は品質が悪かった。3割の実が殻だけだった。実の茎も入っている。Kさんの奥様が「いつもここで買う」と言っていたから、私も買ったのだが‥。まあ、胡椒は3割が殻だけが普通なのかもしれない。風の強い晴れた日の屋外で、新聞紙上に撒いて選別した。




感想/他

・安全
ヤンゴンでもバガンでも夜に若い女性が一人歩きしている。安全な国なんだろう。
ダウンタウン(チャイナタウン)を夜に歩いていても、若者がたむろして騒いだりはなかった。

・なんとなく親しみ
日本の商店名の書いてあるセダン車や神奈中バスが走っているので、横浜市民としては何となく親しみが持てる。日本の店名は残しているが、電話番号は消している。

・正直
お釣りを誤魔化されたり、みやげ物を大きく吹っかけたりはない。上の胡椒は、ミャンマー人も私も同じ値段だった。正直な国民性だと思う。仏教徒で食べ物に困らない国だからだとK氏は言う。

・車
K氏の乗る車は日本の中古SUVの個人輸入車なのだが4年前に所有許可証が2800万円だったそうだ。チャットじゃなく円ですぞ。もちろん、家より高い。今は少し是正され800万円ぐらいらしい。小型車は2〜300万円ぐらい。大きな車ほど累進的に許可証が高くなる。しかし、そのお金は税金なのか、個人的な利権か、軍事筋に流れるのが明らかでないという。高速道路の料金も、遺跡の入場料も誰に払っているのかが分からないらしい。そういえば、数年前に軍事政権トップのタン・シュエが娘の結婚式に50億円の冠(ティアラ)を買ったとか、彼の個人資産が1兆円とかの報道があった。(追加:2014.06下に新車の販売価格の新聞記事)

・車の追い越し合図
前を走っている車が、左のウインカーを点滅させたら、前からやってくる車がいないので、安全に自分を追い越せるよという合図だ。そして追い越した車の運転手は右手を上げて、お礼をする。礼儀正しい。曲がるときのウインカーも直前じゃなく少し前からチャント出す。日本は曲がる直前にウインカーを出し、前や後ろの車に迷惑を掛けるドライバーが多くなった。今は世界の最貧国だが2030年にはシンガポールに並ぶという成長期国家だからこその「共にがんばろう」と相手を思いやる国民性と、将来に希望が見えない国家だからこその「最低のことだけでよい」と自分が楽をし手抜きしたい国民性の違いがこういうところに出る?
駐車マナーは悪い。道の真ん中に止めたりする。駐車時は一般的に道の垂直方向に車を止める。信号は車用と思ったほうがよい。歩行者は車の合間を縫って道を渡る。人命が安い国に特有の車優先社会だ。

・タクシー料金
タクシーは交渉しないで乗ったほうが安い。交渉すると言い値で1000ks上乗せするようだ。チョット高いけどあなたは納得したでしょという状況をつくり、自分の小ずるさを打ち消したいのだろう。交渉しないで乗ると普通の料金になる。敬虔な仏教徒は実直なので悪いことを嫌うのだ。
今回の旅行中に東京都知事になった舛添氏は、自分は貧しい母子家庭の環境で育ったと選挙民の同情を買おうとしていたが、自身は複数の貧しい母子家庭を作ったらしい。口が異常に上手いがずるく、自己中のDV男でもあるらしい。劣等感と育ちの悪さが、そのような人物にしたのだろう。そんな実直でない彼は、ミャンマャー人には忌み嫌われるに違いない。差別的になるが、片親で育った子供は片親家庭を作ると言われるが、舛添氏の生き様はこれが正しいという証明かな?
タクシー経路 乗る前に料金を       (単位:kyats)
交渉しない(全て往路) 交渉した(全て復路)
ホテル ⇔ ヤンゴン駅 2,000 (ホテルより近い中華街まで)3,000
ホテル ⇔ シュエダゴン・パゴダ 2,000 3,000
ホテル ⇔ マイラ・ムー・パゴダ 5,000 ホテルより近いボージョーアウンサンマーケットまで。言い値6,000)5,500

・箱物のニュース報道
テレビの国内ニュース報道は、橋や病院、道路の完成式典ばかりだ。笑顔の太った人が無表情の痩せた人に書類や置物を渡し、その後に食事会や子供のダンス姿が映る。食事会は必ず流れる。事故や事件の報道は無い。箱物を作り笑顔で開所式典に出るのは、日本の政治家と同じだと思った。食事会の様子を必ず報道するのは、費用を太った方が負担したからだろう。与える方は、自身の行為を大きく評価したがるから、地元の子供のダンスより優先して放送するよう放送局へ指示してしまうものだ。

・韓国ドラマ
ミャンマー人向けのBlissホテルでも8チャンネルと46チャンネルでニュースの時間以外は、韓国ドラマをやっていた。どれもゴミ一つ落ちていない広い家、ピカピカ家電、豪華な家具、豪華でピカピカの韓国車、悪役はおろか端役までシワ一つ無い清潔な服、運動中でも髪はセットされ寝起きでもひげは剃られて、壁にはハングル。自動車修理工だって頬や手に黒いグリースがベッタリ付いているが、ツナギ服にはシミ一つないのだ。中世の戦争のドラマは、敵も味方もお風呂上りの顔にクリーニング屋から帰ってきたばかりのような清潔な服を着ている。NHK大河の平家物語で、歴史認証を元に清盛が汗じみた汚れた服を着ていたのと好対照だ。
自国が好かれるため「徹底して、かっこよさ」を売り出す韓国の国家戦略だ。日本もクールジャパンなんていうまねをしているが、とても追いつかないなあと思う。「おしん」は、感動的だが国を売り込む道具ではない。ちょっと見には、著作権が何とかなりそうなNHKのドラマが代わりになり易いのだろうが、梅ちゃん先生に出てきた片岡鶴太郎(旋盤工場を営む信郎の父 安岡幸吉)のような油と垢で汚れた服の人物が出てこないドラマはあるのかしらん。「軍師官兵衛」は垢で汚れた服装の人物は出てこないので、遅ればせながらクールジャパンへ気を使っているのだろう。
韓国が「クールコリア(かっこいい韓国)」政策は、1997年から金大中大統領が始めた。サムスン経済研究所のリポートに、その国家戦略が記してある。「映画やドラマなど大衆文化を相手国ではやらせ、派生商品を販売し、韓国製品の売り上げを増やす。そして韓国の好感度アップにつなげ、海外から憧れられる国になる」というものだ。実を結んでいるなあと思う。
ちなみに、我々は若い頃にクールアメリカ番組を見た。「パパは何でも知っている」「ルート66」「ディズニー漫画」「名犬ラッシー」の豊かなアメリカに憧れを持ち、「ララミー牧場」「ローハイド」のアメリカ正義が正しいと刷り込まれた世代だ。
私はローハイドで早撃ちのクリント・イーストウッドが悪役を一発で仕留めたとき、画面には出ない残された親や奥さんや子供は、どんな気持ちなんだろうとか、彼らは子や亭主や父親が死んだことを知るんだろうかとか、今後どんな人生を送るのだろうと思ったものだが、私のような心配をした人はいなかったなあ。

・物乞い
中華街のWinレストランで食事をしているときのみ、何人かが来た。臭い匂いはしない。私は最初の2人に400とか500ksを渡したが3人目からは面倒になり無視した。K氏は全員に小銭を渡した。

・食事
油っぽい。ミャンマーで数日過ごすと手のひらが油っぽくなった気がするのは、思い過ごしか?
そばでもチャーハンでも量が少なく、腹が膨れない。また、全般的に野菜が少ない。定食屋に行くと肉(エビ・魚含)系おかずは何十種類もあるが野菜系のおかずは1〜2種類しかない。日本で飲み屋へ行っても、まずサラダや枝豆を注文するシニア層としては野菜不足が気になる。味付けは日本人の口に合うが、何か物足りない。そばやチャーハンなどは、ネギ系を入れないからかもしれない。ミャンマー人は机に置かれる青トウガラシなどの香辛料を振りかけて食べるが我々は振りかけないからかなあ。

・携帯電話
softbankのガラケーは日本からの電話の受信記録は出るが、通話は受信も発信もできず。発信しようとすると、無音になり繋がるっているかのように通話時間の秒数カウントだけはアップする。2月分の請求を見たら海外使用分で2200円の請求があった。これで、請求されたらたまらない。これを機会に、ソフトバンクの携帯はホワイトプランだけにし、メールやインターネット(合わせて315円/月)は止めることにした。携帯メールへ写真を送られたりされて迷惑したこともある。sofutbankのアイフォーンは、日本の固定電話へ発信できたが、日本の携帯へは発受信できず。日本の携帯電話は利用料が高すぎるのにこんなトラブルだ。ソフトバンクがアメリカの携帯会社スプリントを買収したが、その一台当りの利用料は日本の2/3だ。携帯電話は設備産業だ。日本より所得が高く、日本より広いアメリカなのに、日本のほうが携帯利用料が高いのはおかしい。ソフトバンクもこの5年で、楽して儲ける仕掛けに入ってヌクヌクしてしまったのだ。ちなみにH25年3月度のソフトバンクの売り上げは3兆2020億円。営業利益は7990億円(売上比25%)。H26年3月度のソフトバンクの売り上げは6兆6660億円。営業利益は1兆850億円(売上比16%)。子会社のスプリントが赤字なのにこんな儲けている。
docomoのスマホはSimカードを差し替えると、ミャンマーの国内用として使えるらしい。ちょっと前までドコモの中古スマホを売っていたようだが、今は中国製新品スマホのほうが性能が良く安いので駆逐された。私も小米の100ドル未満スマホが日本で(もちろん日本語で)使えないのかなあと思っている。まあ、日本で私が使っているwifiの2年縛りが解けたら、そこの携帯会社へ乗換えよう。
ミャンマーでは携帯電話やスマホは一家に一台という制限がある。庶民はその権利を売るという。権利を買うと1〜2万円。

・バイク
ヤンゴン中心部はバイクの走行が禁止されている。走ると罰金だそうだ。自転車はどこでも見るのでOKだ。

・産業
大手銀行やデパートなどの大手商業施設、大手製造業は、ミャンマー系の軍部出身者に押さえられている。ミャンマー系以外の中華系などは軍人になっても出世出来ないという。

・米
水田で作る。レストラン(定食屋)では、ご飯は食べ放題が多かった。安いのだろう。2014年3月の新聞報道で、タイの政情混乱の理由の一つは、タイで行われている政府によるコメの高価買取制度が大幅赤字になり農民への支払いが滞ってることがあるとあった。大幅赤字の理由にタイ農民が自作のコメに安価なミャンマーやカンボジアの米(籾)を混ぜて政府に売りつけていることが挙げられていた。悪いやつらが楽をして儲かる仕組みを作っるのは駄目な政治だ。日本の休耕田政策などの農業政策も数百兆円も費やした農家の所得補償システムで、国豊にとってはマイナス政策だ。

・タバコ
男性の喫煙率が高い。ミャンマー女性の喫煙者は見ない。ミャンマー国産タバコ1箱70円。レストランでも道路でもスパスパ吸う輩がいるので、喫煙嫌いにはちと辛い。

・言葉の語音や韻律
日本語と言葉の音感や高低感や強弱感が似ているのだろう。会話などは意味が分からないが、日本語かと思う。30年ぐらい前だろうか、ミャンマー北部の言葉と日本語が共通した単語を持つので、日本人の先祖はこの辺りから来たという説があった。確かなことは覚えていないが、1が「ひとつ」とか、2が「ふたつ」とか、ご飯を「まんま」とかだ。また、街中で聞こえるミャンマーの曲に日本語の歌詞をつければ歌謡曲になる。私は歌に興味が無いので、有名な歌謡曲しか知らない。だから歌謡曲のミャンマー語への替え歌を聞いたのかもしれないとも思える。
韓国語より語音や韻律は近いかもしれない。

・ビザ入手
郵送だと3週間かかると大使館HPに書いてある。私は2月8日(土)が出発予定なので、前日の7日(金)までに欲しい。振込み時のATM伝票、パスポート、申請書を1月17日(金)早朝にレターパック郵送した。2月6日(木)で3週間となるので、3週間と1日だ。自宅にビザが着いたのは2月5日(水)。私は横浜住民なので夕方に大使館のある品川から投函しても翌日に届く場所だが、投函から到着まで20日間だった。大使館は3週間で届くと言うが、なかなか届かないのでイライラさせられた。また、ビザが着いてからの時間が無いため手荷物を宅急便で空港へ送り損ね、出発当日は雪の中、荷物を持って移動をせざるをえなかった。
大使館へ持って行って申請すると5日間で入手できる。月曜に持って行くと、金曜に入手だ。
ビザは郵送申請だとパスポートへ押印。大使館へ持っていくと写真入のビザ紙をパスポートに貼る。

・中高年のミャンマー旅行
若い人は個人旅行すべきだが、私達のような中高年旅行者は、日本発のツアーに参加するのが良いだろう。理由は@数字さえ読めない汚いトイレのレストランばかりだが、ツアーなら英語メニューのきれいなトイレのレストランへ連れて行ってくれる。Aミャンマー国内から出発間際に飛行機予約が難しい。ヤンゴンで、明日にバガンへ飛行機で行こうと思っても出来なかった。(なお、私は夜行バスに関して難しいか簡単かを知らない。行き先は不明だが、夜行バスを数台をチェックした。満員ではなかった。)B観光場所の案内が難しいし、観光の優先順位が分かりにくい。寺院内にたった1個のライトとその長い電源ケーブルを引きずりながら真っ暗な寺院内壁画を見ることがあった。個人ではできない。

・下痢
気をつけても下痢をする確率が高い。今回は3人全員が下痢になった。H氏は毎食後に正露丸を飲んでいたが、2日目の朝には下痢をした。私は風邪気味だった4日目昼に飲み物をコカコーラにした。その時に彼から「コーラを飲むと下痢するぞ」と言われた。冗談と思って聞いていたが、3時間後に本当になった。「ミャンマーでコカコーラを飲むと下痢する」はジンクスだ。

・世界の最貧国?
世界の最貧国の一つといわれるが、本当なのかなあと思ってしまう。インドで貧しい人々を見たときに感じたような無力感や虚脱感はない。物乞いがいたが必死さがなく施さないではいられない感じじゃないのだ。普通の労働者も横浜育ちのシニア世代の私が昭和30年前後に地方で見た感じたより、良い生活なんじゃないかな。ちなみに、私は日本の田舎や地方に、住んだことも知り合いもいない。当時の旅行中にバスや列車から見ただけだ。

・K氏ご夫妻
半年後に日本へ来る。今回は我々がしっかりお世話をする番だ。


出発前に出たミャンマーに関する新聞記事。
けっこうある。
2014.02.08

このパンさんの「2030年にシンガポールに並ぶ」という話は有名らしい。今でもシンガポールの一人当たりGDPは日本の1.2倍だ。そうなると2030年のミャンマーは日本の2〜3倍だ。なるほど、片側4、5車線の高速道路が必要だろう。

2014.02.01

ホテルも高くなった。

2014.02.02

子供が蹴って遊ぶボールが小さかったのは、チンロンのボールだったのか。





・寄付・人助け
人助け活発お国柄反映 慈善活動、米・ミャンマーが首位
日経 2015/5/4 3:30
 「他人のために時間やお金を使う人が多いのはどこの国か――。英国の団体が2014年にまとめた「世界寄付指数」で、米国とミャンマーが1位に並ぶという結果になった。日米欧など経済規模の大きい20カ国・地域(G20)のうち、トップ20に入ったのは5カ国のみ。日本(90位)を含む11カ国は50位以下だった。慈善活動の規模は経済的な豊かさとは必ずしも関係せず、宗教や社会慣習などを含む「お国柄」を反映しているようだ。」

成程ね。実感と同じだ。

20150623日経


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