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・チャイティーヨー観光へ戻る(2014.02.08〜02.09)
・ヤンゴン(Yangon)市内観光へ(2014.02.12.〜02.13)


バガン観光(Bagan) 2014.02.10(月)

今日は一日中、バガンへ車移動だ。700kmの行程になる。K氏奥様のMさんの弟さんT氏も、ドライバーで同行する。総勢6名になる。
市内でガソリンを満タンにする。
数年前に出来たというヤンゴン〜マンダレー間の高速道路でミャンマー首都のネピドー(Naypyidaw。下の地図ではNay Pyi Taw)を経由しメイクティーラ(Meikhtila。地図ではMeiktila)まで行き、その後は一般道でバガン(Bagan)へ向かう。
下のルート。距離は東京から姫路か岡山に相当する。10:00出発。

大きい地図(標高はfeet表示)

ヤンゴンからバガンまでの移動は飛行機か夜行バスが一般的だ。
飛行機は、予約が取れなかった。
夜行バスは嫌だった。帰国のANA便は夜行なので、バガンまでの移動に夜行バスを使うと6泊の旅行なのに車中3泊となってしまうのだ。この年ではつらい。


高速道路。

高速道路は有料だ。入るときに通行券をもらう。
ヤンゴンの高速道路始点からのポスト(距離標)。 0.1マイル(161m)毎に立ててある。
道路標識の制限速度はkm/h表示。
走行距離や到達時間の計算で、頭の中で1.6を掛けたり、6で割ってから10を掛ける。道路上でのマイルとキロメートルという2種類の物差し表示は、面倒でチグハグ感がある。ミャンマーで絶対的権力者の軍人さんはアメ車好きなのかな?

道路は空いている。

時折、最高150km/hで飛ばす。

片側2車線の道路である。片側4車線のエリアを取っているが2車線分は空き地になっている。加えて中央分離帯も2車線分あるので合計片側5車線まで可能だ。おいおい、日本は首都高は2車線、新しい湾岸道路でも3車線だぞ。
道路の舗装はコンクリがほとんどだが、アスファルトの区間もある。
コンクリ道路はたまに穴が開いており、車が大きくバウンドする。穴はタイムリーに補修されないようだ。
コンクリ道路はちゃんと作れば寿命が長い。昭和60年代の朝日新聞に「学徒出陣式典があった外苑の絵画館前の道路は式典前に舗装された。交通量があるのに今でもその道路が使われている」というのがあった。今はどうだか知らないがその道路はコンクリ道路だった。
コンクリ道路は固まるまでに時間がかかり、費用が高く、摩擦が小さく、水たまりができ易いので、日本では次第に少なくなっている。私が住んでいる場所のご近所にあるコンクリ道路は補修部分だけアスファルトに変わった。

橋はほとんど片側2車線だが、片側4車線の橋もある。

自転車が、左側の追い越し車線を走っていたり、中央分離帯の縁石に腰掛けた学生が、その前に自転車を転がし話し込んでいたりもする。側道を牛車がのんびり歩いていたり、人や犬が道路を横断したりもする。なお、牛車は左右に並んだ2頭で一つの大八車を牽く。
主要一般道とは、高速道路が上を走る立体交差になっているが、生活道ではそうはなっていないようだ。高速道路で地域の人たちが使う小型バイクは見たが、大型バイクは見なかった。


高速道路にはサービスエリアもある。ここはヒュー(Phyu)のサービスエリア。駐車エリアは屋根つきだ。レストランが数店舗ある。一番混んでいる店(店名:FEEL express)に入り昼食。14:01

テーブルを決める。お茶(ポットと茶碗)が来る。
店の奥には、料理の入った鍋やトレーが並んでいるので、指してトレーの後ろにいる係員に取り皿に盛ってもらう。(下写真はFEEL expressのHPから。こんな感じだった。)

テーブルにその料理と無料のおひつの白飯、調味料のお皿がくる。
店を出るときに清算する。
アイスクリームが美味かった。トイレは日本の高速道路SA内と似ており、きれいだった。前日のチャイティーヨー観光時は汚いトイレがばかりだったので、うれしい。

ネピドー(Naypyidaw)付近からガソリンが少なくなったのでガソリンスタンドを探したがない。さらに120kmを走ったあたりでガソリンメータがほぼ0になってしまった。高速道路上から見えた高速道路入口近くの一般道のガソリンスタンドまで数百メートルを逆走(バック走行)した。高速ゲートは、係員に事情を話し、ヤンゴンで受け取った通行券を見せたら出入りができた。70リットル以上の大口のお客だったので、ガソリンスタンドは喜び、栄養ドリンク2本のサービスが付いた。

最高時速150kmで飛ばしたので燃費が予測より悪かったのだ。

ちなみに、日本の高速道路で給油所の無い区間が長いのは、東九州道・延岡南ICから九州道・鹿児島ICへの233・4キロが最長で、2番目は九州道・宮原SAから延岡南ICへの231・1キロだそうだ。

メイッティーラ(Meikhtila)で一般道へ。

一般道からの夕日。18:04

ミャンマーの森は密林じゃない。サバンナだ。今の時期は、乾季なので草は枯れている。同行のY氏宅にはミャンマー豹の毛皮が1枚あるそうだが、豹の生息にピッタリの景色に思える。

夕日が沈んだら、周りは真っ暗になった。村の中以外に灯は無い。そこを100km/h近いスピードで飛ばす。村の周辺には人や犬、自転車、牛車もいて、ヘッドライトの光で突然に現れるので怖い。道路にはバイクも走っているが、無灯火が多い。後灯はほとんどのバイクが点灯していない。

道幅は大型車2.5台分あるが、乗用車がすれ違えるぐらいの中央部分しか舗装していない。前から大型車が来たら脇へ逃げる。

道路には雨季には河になるという部分もある。そういう所は流されるので、舗装していない。

道路にかかる橋は平原の凹凸を越えるためのもので、長さは数メートルから10メートルで短い。コンクリ製が基本だが、途中のミャンマーで一番大きいという空軍基地付近は鉄骨構造になる。


バガン(Bagan)に20:30過ぎに到着。ヤンゴンからの途中、我々を追い越した車は2、3台だった。飛ばしすぎだ。所要10時間半。

バガンの宿は新市街にあるローカナットホテル(Lawkanat Hotel)。

歯ブラシは、フロントで購入する。今までは部屋になくてもフロントでくれるホテルはあったが、お金を払うホテルは初めてだ。
ちなみに私は携帯ドルツ歯ブラシを日本から持ってきている。しかし歯磨き粉は現地のものを使う。今回は念のために、ヤンゴンのホテルから歯磨きチューブだけを持ってきたので助かった。風呂はシャワーだけ。

ホテル近くで夕食をとる。ビールと鳥汁そば。21:34



2014.02.11(火)

ホテルを8時10分発。バガンはKさんも初めてなので、ガイドさんを雇った。

まず、タウン・カラットへ向かう。
タウン・カラット(地名はポッパ(.Popa))はバガンから南東に50kmの場所にある。.

途中のトイレ休憩した店の隣で、ピーナッツ油を絞っていた。最初は牛が装置の重みを支えているのかと考え、残酷と思ったが、T氏は装置の重みは柱を通し木臼が支えると言っていたので安心した。8:50

それにしても牛は従順な動物だと思う。

動画





乗ってもいいよというので、乗ってみた。でも、でっぷり太っり全身から怠慢感が漂うシニアには似合わないなあ。

お礼1ドル。バガンの案内をしてくれた現地ガイドの一日料金が1,000円(多分、10,000ks)と聞いていた。1,000ksでは多すぎると思ったので米ドルにした。

タウン・カラット(Taung Kalat)


ポッパ(.Popa)のタウン・カラット(Taung Kalat)に着く。9:59
タウン・カラットの上にお寺がある。そこまで登る。標高差は150mぐらいか。

タウン・カラットは山岳地帯に突き出した岩山だ。
岩山は寺院内の聖域なので裸足になる。
寺院内のトイレに裸足で入るのは嫌なので、この場所でトイレへ行く。有料:100ks/人。きれいなトイレじゃなかった。

入口で靴を預ける(有料)。裸足になり、30分ほど階段を登る。ちなみにバガンの寺院は全て入場無料だった。


猿がいて観光客からの与え物で生活している。猿用の餌も売っている。
階段や通路には猿のウンチが落ちている。注意しながら登るが、誰かが踏んづけて広がったものも多い。濡れている床は猿のオシッコだ。裸足なのでチトつらい。


ようやくタウン・カラット山頂の寺院着。10:38

下で見るほうが良い。登ってまで見る価値は無いなあ。


日本からのツアーは下から見るだけのものが多いのが、頷ける。
しかし、つらい思いをして登らねば、それが分からないのが世の常だ。
登らないツアーだったら物足りなさが残るだろう。しかし、ツアー会社がツアー客のことを考えた内容なのだ。




タウン・カラット山頂からふもとを望む。10:53


麓に戻る。11:12

一段高くなっている黄緑の塀は小学校。丁度、運動会をやっていて、建物前の校庭に黄色い声が飛び交っていた。

我々の車がここに着いたときに、横向きで駐車を妨害していた青色の(株)新港電機のトラックは、自分が停まるための場所取りで停まっていたのかと納得。

頂上へ行った者だけが感じることであるが、タウン・カラットのお寺は大したことがない。麓から見るのが一番きれいでよい。しかし、せっかく日本からタウン・カラットへ来たのに頂上のお寺まで登らないと、大きな残念感が残ってしまうから、観光客としては登らねばならない場所だ。


バガン市内へ戻るため出発。11:15

11:58



バガン市内へ戻り、昼食。
レストラン名は不明。コーラと定食。
トイレがきれいな店だった。ミャンマー全般だが、トイレがきれいな店は外国人で混雑している。

レストラン前の道路を、発動機付き乗合いトラックがバタバタと走る。12:28


アーナンダ寺院(Ananda Temple)
バガンで一番美しいという寺院。13:36


このような仏像が東西南北に1つずつある。これは西だ。





アナンダ寺院の西口。14:01


移動

ゴドーパリィン寺院(Gadawtpaling Temple)
バガンで2番目に高い塔を持つ。礼拝をしていた尼さん。14:22




ここで買ったお土産の砂絵。シーツのような布に、砂を混ぜた絵の具で書いてある。縦50センチくらいの絵で、バガンの代表的なお土産だ。書き手らしき人が寺院の前の道路にいくつもの絵を広げて売っている。

大きい写真
7us$の言い値を5us$に値切った。絵を買ったら、ぐるぐるに巻いて輪ゴムで留めて寄こした。印刷だろうと思った絵は、帰国後によく見たら手描きだ。2ドル値切っただけなのに売り手から「Your discount negotiation is nice」なんて皮肉を言われてしまった。チョット気の毒なことをしたのかな?
実は、この前に別な場所で仲間のH氏が絵を買いたいと「幾ら?」と聞いたら「2ドルと」いう。じゃあ「それをくれ」と気に入った絵を指したら「この絵は5ドルだ」と言われたことがあった。そのため相場は5ドル以下という気持ちがあって、5ドルと指値を言ったのだ。私がこの絵を買ったときは、ガイドさんを含め7人で寺院内を見ている最中で急いでいた。財布から5ドルを出して駄目なら去るつもりでいたのが、売り手には交渉と感じられ、先の言葉になったのかもしれない。
バブル期に会社先輩のky氏と海外出張する前、彼から「海外出張や海外旅行は贅沢なことだ。現地の人と同じ値段で買ったり飲み食いしてはいけない。我々はお金を落とすんだ。」と言われたことがある。それにしては現地の会社(日系)からの接待にはトコトン付き合い。自分たちが奢る番には「疲れた。明日が早い。」などと言って逃げた人なので、それなりに差し引かなければいけないが、今でも正しい意見と思う。

移動

ミャゼディパゴダ(Myazedi Pagoda)。14:44


この碑文で有名らしい。


この中にある建物の一つには、古い壁画が残る。ガイドさんがライトを照らしながら解説してくれる。中は写真撮影禁止。

14:47


移動

ガウダウパリンヒヤ(Gaw Daw Palin Phaya) 15:14

15:18


15:17


移動


ブーパヤー・パゴダ(Buphaya)。エーヤワディー川沿いにある。
車を降りてトイレへ行った。帰ってきたらパゴダ前でガイドさんが待っていた。パゴダを観光。15:50





ブーパヤー(Buphaya)前の川縁にあるレストランでしばし休憩。16:30

私は昨夜から風邪を引いてしまい、ここでダルさと下痢症状に悩んだのをK氏が気遣ったか?
H氏からパブロンをもらう。すかさずK氏が「早めのパブロンね。々」と繰り返した。

レストランからのエーヤワディー川。

雨季には壁まで水が来るのだろう。この川はヒマラヤを水源とし、下流ではヤンゴン川と運河でつながっている。

バガンにいたパンダ顔の犬。ブーパヤー・パゴダ前のレストランから。

大きい写真

レストラン前の犬。ヤンゴンでもバガンでも、野良犬が多い。


移動

マハーボーディ寺院(Mahabodhi Temple)16:54

ヒンズー教の寺院である。



移動。景観がよいというパゴダを2箇所回る。

ミマランチャン寺院(Mimalaung Kyaung Temple)からの景色。
金色に輝く塔をもつ左端はアーナンダ寺院(Ananda Temple)。その右はマハゼディパゴダ(Mahazedi Pagoda)。正面の白っぽい寺院はバガン一高い尖塔を持つタビィニュ寺院(thatbyinnyu pahto)。17:09

大きい写真


北緯21°10’06.50″ 東経94°51’30.27″。
この遺跡にあった標識はこれだけ。17:14

マンミャー文字も左から読み数字は10進だ。1611[か]と書いてある。発音「か」は番の意味だろう。バガンの遺跡標識ナンバーだ。



約500m車で移動

マハゼディパゴダ(Mahazedi Pagoda)。階段は急でパゴダ上の通路は狭く、ようやく足を乗せられる所もあり、チト危ない。しかし、観光客は何かよい事がありそうだと高い場所へ登りたがるものだ。17:20

観光客が多く来ていた。上写真赤い服の人の前で砂絵を売っていた。

この遺跡標識。

標識番号1602だ。現地ではパゴダ名が分からなかったが帰国後調べてマハゼディパゴダ(Mahazedi Pagoda)と判明した。

市内を自転車で回っている元気の良い日本人若者3人組(上の三人)が来ていた。一人はロンジー(民族衣装の男性用巻きスカート)を穿いていた。17:32

階段は60度の急勾配だ。しかも足の置き場が狭い。つま先が使える登りは何とかなるが、かかとしか使えない下りは怖いので横になったり後ろ向きに降りる。

上の若者が写真を撮ってくれた。バガン旅行全員の写真だ。右から2人目のトさんとホテルが同室だった。

大きい写真

夕日を見にバガン観光最後の移動。


ソクミンジーパゴダ(SocminGyi Pagoda)。17:44

裸足になりパゴダへ登る途中の階段で、4方に棘が出ている植物の小さい種に足の裏を刺される。あわてて指でつまんで取ろうとしたら棘が指にも刺さり血が出るが、足裏からは離れない。ほぼ全員の足裏に刺さった。たちの悪い種だった。降りるときにも踏んづけた。

奥のパゴダの中にも入れるが、疲れていたのと棘が心配で行かなかった。チト心残りだ。


現地の人らしき母子がこの寺院内パゴダ上で、お菓子を食べながら景色を見ていた。我々も夕日を見る。17:48

バガン遺跡全体に言えるが、例えば12世紀にソミンジーによって建てられたこの遺跡は、普通のレンガでできている。野ざらしの900年後にこんなに保存状態がよい筈はない。最近になって観光振興のために再建・修復したたのだろうが、元の姿は分かるんだろうか?

このパゴダ前で昼寝をしていた犬。こんなところを裸足で歩いて棘は大丈夫かい?


ガイドさんは、朝にバイクでローカナットホテル(Lawkanat Hotel)へ来ていたので、彼を送り届けに一旦ホテルへ帰った。トイレ休憩した後、ヤンゴンへ向け出発。18:10

途中の高速道路に入ってすぐのメイッティーラ(Meikhtila)にあったサービスエリアで食事。来る時と場所は違うが、同じ店(FEEL express)だ。20:42

ここで、ほぼ真上に月が見えた。
高速道路にも街灯はない。しかし、この時刻になると自転車や人は歩いていない。

23時にネピドーのガソリンスタンドで給油した。
この時刻に、給油機の前へダンボールを敷き、ガソリンスタンドのオレンジ光で勉強している中学生ぐらいの2人の女の子がいた。そのがんばりに胸が熱くなる。Y氏が目が悪くなるんじゃないかと心配した。

夕食時に見たときより下がってしまったが、ネピドー(Naypyidaw)のSA内ガソリンスタンドで給油したときの月と木星。23:02

わずかな光点となっている左下隅の星はこいぬ座のプロキオン、斜め右隅のはオリオン座のベテルギウス。この2つとおおいぬ座のシリウスで冬の大三角を作る。PM2.5のような霞がかかっていた空で、星はあまり見えなかった。帰国後に2月26日の新潟でPM2.5の基準値超えの注意報が出たとのテレビ報道があった。その時にアジア地区のPM2.5拡散地図と拡散予測シュミレ-ションが出たが、ミャンマーは高濃度地域だった。
この話になると書かざるを得ないのが不愉快で悔しいこれ


上図は「つるプラフリー版」。時刻は日本時間(ヤンゴン23:02)。

この日、21:47にヤンゴンの月は高度89.1度だった。
ヤンゴン(スーレパゴダ付近)の緯度 16.7741、経度 96.1586。国立天文台

方位は月の出入り時の北から東回り角度。南中は月が一番高い時刻。
日本で見る月は一番高い時でも80度を超えることはない。

ここ北半球では、北極星を中心に天空が毎日一回転している。10日の21時頃にバガンのホテル前駐車場で北極星を探したが、目印の北斗七星が見つけられず分からなかった。帰国後つるプラで調べたら北斗七星のうち2つは地平線下にあった。
日本でも時期や時間で一部が地平線下に隠れる。


2014.02.12(水)この日はミャンマーの祝日

このバガン旅行の運転手をしてくれたT氏を家に送って、午前3時40分にヤンゴンのブリスホテル(BlissHotel)着。フロントは開いていた。

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       ヤンゴン(Yangon)市内観光へ続く(2014.02.12.〜02.13)

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