ビスケット状お菓子の「金蚕餅」の製造販売店。種を鉄板に7〜8個落として、蓋をする。20秒後に逆さにして、もう20秒して開けると丸いお菓子になる。地元の人が買っていたのと、試食をしたら鳩サブレーのような味で、粉っぽいが卵(蚕)とバターが多く入っている気がした。おいしいと思ったので、私もお土産に買う。270円(20H$)程度でティッシュペーパ1.2箱分(おじさんの頭上の黄色の箱:正方形)の量が買えた。賞味期限の表示は無かったので、勝手に1週間と決めた。日本で私の子供達は1〜2枚食べたら「粉っぽい」と言って手を付けなくなった。せっかくのお土産が、写真のような店で製造販売されたものだったので、不満を持ったのかもしれない。私もその影響を受け食欲減退となった。結局
、ドックフードよりおいしく感じたらしくガツガツ食べた我が家の犬が9割以上を消化した。(マカオ:聖ポール天主堂跡近く)
聖ポール天主堂跡(写真下)
マカオでは12箇所を世界文化遺産にすべく申請をしている。観光客誘致に一生懸命なのだろう。しかし私の見るところ、どれも大したところではない。他のアジアにない超近代的レジャー施設で売るほうが良い。香港に、もうじきアジアで2番目のディズニーランドが出来るし、マカオには感動施設のマカオタワーもあるし、巨大な遊園地も作っていた。そんなあせる必要がないと思う。もうじき東京ディズニーランドに2度行くよりは、香港・マカオとなる。
聖ポール天主堂から。
写真下 マカオ島。写真奥の川向こうは中国の珠海。物価などはマカオの数分の1なので、珠海に住みマカオで働く人が多いという。地元民へのパスポートチェックは緩いという。(マカオタワーにて
2005.02.25)
写真下 対岸のタイパ島(マカオ領)。手前の橋はフレンドシップ橋。マカオ-タイパ間には3本の橋が掛かる。2本は自動車と人用。もう1本(奥の高さの低い橋)は電気や水の輸送管用の橋。雨時の河口なので水は濁っている。
下の写真で一番奥の堤防のようなところは飛行場(マカオタワーにて撮影)
乗ったマカオ全域ツアー(13:30〜18:00)のバス。英語と中国語(北京語)のツアーと書いてあったが、ガイドの爺様は日本語も出来た。最近のマカオの発展に自信を持っている彼は、日本の経済停滞には職業上の理由から危機感を持っていた。中国4000年の歴史の中では50〜200年位輝いてから、しぼんでいった国はいっぱいあるとして、中国周辺に、同じ歴史をたどる国が現れたことを確信していた。「日本も今までは頑張ったネ。これからはダメみたいだけれど」ぐらいのところだ。
ガイドさんは、日本ならば田舎街にもあるであろう建物をここがキリスト教系の病院だの、中学校の体育館のような建物をスケートリンク場だのと解説をした。マカオのギャンブルを取り仕切るボスの家が坂上から見える時も解説した。塀は高く、高級車が庭に4台ほど止まっていたが、ボスの家の敷地は2〜300坪程で、家も以外と小さかった。しかし、ボスの家は何軒もあり、本宅は香港にあることが多いという。もちろんギャング同士で抗争があり、我々のイメージ通り、多くの人が続々と亡くなっていくという。しかし、一般人には、決して害を加えないというルールが守られている。ガイドの爺様は、流れ弾で人が死ぬこともある日本の抗争を聞いて、驚いていた。日本では鉄砲玉に「一般の人に危害が及ぶのだったら、自分が死んだほうがまし」との道徳が無いらしい。日本ヤクザも、国際標準から見ると、日本官僚と同じくレベルが低い評価なのだ。
それにしても共産主義国がギャンブルを生業にしているとは面白い処だ。
このツアーには、マカオのフェリー乗場一階にあったツアー会社に飛び込んで参加した。ツアーを申込む時に、受付の40歳くらいの男性は電話に夢中でお客(我々)を、長く待たせた。共産国家化による弊害か?
ここでツアーを申込んだのは、上記のポルトガル人カップル(座席:下のバス写真で最後列)、上記中国の禿げたオヤジ(一番手前の座席)、香港人らしいカップル(座席:オヤジの斜後ろ)そして我々だ。
午前中からの昼食ありコースに申込んだ中国本土の家族連れ3人(座席:オヤジの横の荷物が置いてある場所)とガイドさん(座席:オヤジの前)は媽閣廟で合流した。彼らが午前中どこへ行ったかは知らない。
ここまで書いて、気づき思い出した。媽閣廟で禿げたおじさんは境内に入らなかったのは、バス乗り場での集合時間が分からなかったので置いて行かれるのを恐れたからなのかもしれない。フェリー乗り場前から乗ったバスには、お客以外に旅行社側の運転手のみがいたが、英語も北京語も駄目だった。
最初に停車した菩薩像前では雨が降って寒かったこともあるが、降りた乗客は私を含め2人だけだった。そしてバスから5メートル以上離れた乗客はいなかた。観光地らしき所だが、なぜ停まったのかが、ほとんどの観光客には分からなかった為だ。結局ここでは、2分程度停まっただけだった。2番目の停車場所である媽閣廟で降りるとき、運転手は降りろと身振りで示しながら、中国語(多分:広東語)で何やらしゃべっていたが、香港人らしいカップル以外の乗客は誰も理解できなかった。我々は、集合時間が分からないままバスを降ろされてしまい、運転手はバスに鍵を掛けてどこかへ消えた。私たちは中国人観光客の流れに乗って歩いたら、観光地らしき媽閣廟に着いたのだ。私も集合時間は気になっていたのだが、出発に遅れたらここで置いて行かれても構わないと思って境内に入り、観光したのだ。しかし動画ページの記録のように急いで回った。ポルトガル人カップルも同じく急いでいた。そして、媽閣廟で見るものを見て、周りを散歩して、やることが無くなったので、ツアーバスに向かったら、おじさんがとポルトガルが付いてきた。バスはまだ鍵が掛かっており、雨の中を15分くらい外で待った。
おじさんとしては、真面目な性格だったので、どこも行けず、このとき散々な目にあったのかもしれない。香港からの2人はバスのドアーが開いてから帰って来た。近くに博物館があったのを、帰国後知った。
ツアーを申し込んだ後に、フェリー乗場の2階にある海鮮食堂で昼食を食べた。担当がとても若く綺麗で可愛い女性で、また味もおいしかったが、ツアー参加までの持ち時間が40分しかなかったのと、サービス態度が悪くない彼女が先輩店員(美人でない)に、大声で叱り付けられていたのが気になった。
中国本土の家族連れ3人はタイパ島に行く前のマカオタワーで降りた。下の写真は合流前の菩薩像前で撮影。(マカオ)
菩薩像。20分程度止まったが、寒いのと運転手の言葉が分からないので誰も観光へ行かなかった。
本来30分程度のタイパ島ツアー途中に、もう30分程度掛かるがタイパ島の裏にある砂が黒い、黒砂海岸を15H$/人(202円)のオプションで見に行くか?との問い合わせがあった。ツアー客の全員がYESと答え、運転手が笑顔で割増料金を回収しタイパ島の裏に行った。
だが珍しい景色はなく、普通の海岸であった。黒い砂が混じっていたが、全体としては茶色の砂である。葉山から鎌倉の砂浜に黒い砂鉄が入っているのと同じだ。
しかし、ここにはけっこう観光地のようで、大勢の中国人観光客がいた。中国では砂浜が珍しいのかもしれない。日本の海岸と同じく烏賊焼きや焼きとうもろこしの屋台が出ており、本土からの中国人に大人気だった。
黒砂湾(ヘイシャワン)写真下 ガイドの爺様は「どうだ砂が黒いだろう。これが珍しい。」と自慢した。
ここに来た後、ポルトガル風石釜で焼くパン屋に寄ったりしたためツアー終了は1時間伸びて19:00にフェリー乗り場に戻る。
買ったパンは車内と日本で食べた。旨いが自慢できるほどではない。
写真下 香港の建物。「エアコンを交換する時はどうするの?」、「何かの弾みにエアコンが落下しないの?」と心配する。そしてアパートの上のアンテナ群は何だ?(2005.02.26香港)
フェリー時刻表。数十万人の島でも24時間運転だ。3000万人都市の東京地区の鉄道やバスも見習ってよ!。深夜などに需要が無いから運転しないという言い訳は間違いだ、運転しないから需要が無いのだ。「保守が‥」という言い訳も間違っている。先輩の香港のトラムやバスの実情を習うのだ。なお、習うときは香港の人を呼んで指導してもらうのだ。JRや地下鉄、バスの人たちはお役人と同じで世間の競争を知らない。そういう人達が見学に行っても物見遊山としかなりえず、無駄だ。
工場の効率化のために、トヨタ工場を見学するより、トヨタの人に来ていただいて指導を受けるほうが効果があるものだ。(マカオ:2005.02.25)
フェリーで九龍からマカオへ。九龍のフェリー乗場はスターフェリー乗場近くの海沿いに建つ細長く巨大なビル(ビル内を10分歩く)の端にある。九龍を10:20ごろ出発したが、霧で遅れ12:30にマカオに着いた。フェリーは座席指定の一等席に乗るとよい、食事と飲み物サービスが付くし、景色も良い。2005.02.25
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