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1997年12月クアラルンプールの写真

5日間のマレーシア出張先は、クアラルンプール中心から高速道路で20分ほどのぺタリンジャヤ地区にあるR社だ。最後の日の朝は、ヒルトンホテルのビッフェを止めて、ホテル前にある食堂へ入り朝食を取った。80円ぐらいだった。(それにしても、会社の出張とはおかしなものだ。1000円以上するホテルの朝食は経費で落ちるが、外で食べた80円は経費で落ちない)その後の仕事は、予定通りの契約書署名と技術教育の仕事を11時前に終え、荷物をまとめ、お世話になった皆さんに挨拶をした。


私は技術教育で行った。写真中の左側の5人が受講者だ。英語での授業など初めてなので最初の日(月曜)に英語で教育を行って、その午前の終わりに通訳が要るかを聞いたら「欲しい」という。慌ててそのこの会社の社長に通訳を連れてくるようにお願いし、翌日から3日間お願いした。頼んだのはマレーシアで2番目に優秀な通訳だそうだ。その日の午後は英語で教育を行ったが、翌日は通訳の人に3日分の通訳料を支払い、私の横に横に立ってもらった。翌日からは英語と日本語のチャンポンで行う。
何とかなったようだった。定時に授業が終わった後は社長などと契約書を詰め、21時になると社長と担当の部長と一緒に都心の有名店で夕食。ちなみに昼食はペタリンジャヤ内の中華レストランだった。

水曜で授業は終わり、木曜の午前中は会社内の案内や契約書の最終打ち合わせをした。



後の細かいことは帰国後にFAXや電話でよい。合意結果は相手にも満足だったようで、気を良くした相手会社の社長さんからの昼食のお誘いを振り払い、12時前に外へ出た。4時過ぎの飛行機で相手会社の本部があるシンガポールへ、行かねばならないので、観光時間は3時間もないが、タクシーでクアラルンプール市内を回ることにしたのだ。なにせこの5日間で観光らしきものは、2日目(月)の仕事が終わってからの夜に、タクシーで競技場(スタジアム)内のカニ料理店へ行った時に伊勢丹横を通ったぐらいなのだ。


建設中のツインタワー



会社の前でタクシーを拾って、真っ先に向かったのが、ツインタワーの工事現場だ。来年(1998)竣工とのこと



KLタワー(お勧め)
ツインタワー方向の景色。展望台は地上300m日本にはこんな高い建造物はなく、ちと怖い。


タワーのタクシー乗り場からは、毎回タクシーを拾ったり、荷物を持っての移動が面倒になり、インド人運転手に適当に市内を回ってもらう。
行く先々で、運転手に私の写真を撮ってもらう。カメラは「写るんです」。

国立モスク(お勧め)

初めてモスク内に入った。
モスク内は靴を脱いで見学する。入口の受付に女性用のフード付きビニールコートがあり、女性はそれを着て入場する。

モスク内部(礼拝堂)



身を清める洗い場。蛇口が並ぶ。入口右側の地下にあった。コーランらしき声と水の流れる音がしていたが、入口付近から人は見えなかった。







レイクガーデン(
バタフライ・パーク

館内を蝶が舞う。多摩自然動物園にも同じようなのがあるが、館内の広さ、蝶の数と種類、派手な色と文様、リン粉の輝きが違う。


ここに来る前にタクシーの運転手へ「ドリアンが食べられる所に行ってくれ」言った。果物の王様と言われていたドリアンを今まで食べたことが無かったのだ。レイクガーデンの英雄戦士像近くの広場にある屋台へ連れて行かれた。ドリアンとか竜眼、マンゴスチンなどの数種類を食べた。全て初めての果物だった。ドリアンは一口であきらめた。ドリアンは一個丸ごとでしか売っていなかったので残念だったが、臭いのするドリアン以外の残りを、ビニール袋に入れてもらいお土産に持って帰る。

                                                 

国立博物館
2時過ぎ、午前中の仕事と午後からの見物に時間を取られて昼食を食べていなかったので、遅めの昼食をこの中の広場にある屋根がビニールシートのレストランで食べた。
大きなトレイの中にある、おかずやご飯を指差して、お皿に盛ってもらう。メインディッシュはアジ程度の大きさの魚の丸揚げにした(内臓は取ってある)。骨は硬くて食べられなかった。米はチャーハンだ。
昼食代は、ジュース込みで200円程だった。



クアラルンプール駅構内


ここで時間が無くなり飛行場へ向かった。

シンガポールで宿泊のマンダリンホテルに行ったら、フロントでD社の人が待ち構えており、彼らの接待が深夜2時半まであった。

翌日の午前中は9時からA社への挨拶と工場見学。終わったらD社の人とR社へ行って挨拶と今回の合意のお礼。そして12時過ぎにH社アジア本部へ挨拶に向かい、H社の人に昼食接待を受けた後、H社工場へ移動し見学。その後D社へ行き打合せてから、D社の人たちを飲食接待し、夜行便で帰国なのにイヤだイヤだ。


A社は取引のある電子製品メーカだ。A社内を社長さんに案内してもらう。
3階建ての倉庫のようなビルだった。組立てなども3階全てを使う。
組立て工場は平屋が当たり前の日本から来ると、半製品が大きなエレベータで立体的に移動する様にチョット違和感を覚える。
国土が小さく、地価が高いので仕方なく、また工場として物が上下に動くことで困ることはないという。


H社の工場受付前。こちらはシンガポール進出が早かったためか平屋の巨大工場だった。

シンガポールの高層ビル群。H社の人はこの中の一つが政府から、○○○タワ−という自社の名前が付いた建物名が許されたと言って喜んでいた。



その他
飯は美味い。市内にはインド系と中華系の店が多かった。中華料理は美味いが、食卓に添えられる酢漬け唐辛子は食べてはいけない。舌が30分も麻痺して苦しむことになる。苦しいので舌で唇を舐めると唇までもが麻痺する。

前述の競技場(スタジアム)内にある野外でカニを食べさせる店は、外資系コンピュータ会社の方のご推薦だったので一緒に行った。広場に椅子とテーブルを置いただけの店だ。カニがでかいが、外人など来ない店なので安い。何種類もの生きたカニやヤシガニ(ヤドカリ科という)、海老がいるので、手で示し、調理(炒めたり:saute、焼き網で焼いたり:grill、ボイル:steam boiled)して欲しいと言う。ビールを置いてあったが、冷えていなかった。
トイレは競技場のトイレを使うのでチョット汚い。手の洗い場はなかった記憶がある(?)。
外資系コンピュータ会社の方と行ったカニ料理店。



店を出るときは、カニや海老を見ると頭が痛くなるほど食べた。帰りはチャイナタウンまで散歩したが、途中でインド系の乞食が付いてきて困った。

タクシーの運転手に「ドリアンはウィスキーを飲んで食べてはいけない食べ物なんだ。」と食事前に注意を受ける。相性が悪く、気分が悪くなるらしい。
公園の屋台でドリアンを食べながら不味いと言ったら、運ちゃん曰く「当たり前だ。最初に食べる時は不味い果物なのだ。これは2度目からが美味くなる果物だ。」 しかし、2年後にタイで2度目を食べたが美味くなかった。台湾で3度目も食べたが同じだ。

マレーシアやシンガポールには人種差別と言おうか出身により差別があるようだ。欧米と中国系が一番、マレー系が2番、インド系が最下位だ。

シンガポールで、地下鉄駅内のトイレに入った。用事を終え立ち上がると勝手に水が流れた。メーカーはTOTOだったが、当時は日本でもお目にかかったことが無い機能が地下鉄に採用されていたのでびっくりした。



以上は、1997年の出来事だったり、感じたことだ。

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2005.12.11初載
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