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高知 2014.06.05(木)〜08(日)

先一昨年、一昨年と高松と松山へ用事があったので行った。徳島も数時間だが観光した。しかし、高知は行っていない。行かねばならないと思い、今回の旅行になった。

6月5日(木)
13:30分発のANAで高知へ。
はりまや橋で空港リムジンバスを降りる。15分歩き高知城へ。

高知城。15:56

高知城は40年以上ぶりだ。
当時の高知で覚えていることは「はりまや橋と高知城を見たこと。市内のどこかへ行ったときに柿の葉茶を飲んだ(おばあさんに手製の柿の葉茶を飲まされ、その効用について長い講釈を聞いた)こと。桂浜まで龍馬像を見に行ったが、つまらない場所で、なぜここが観光名所なのかなあと思ったこと。」だけだ。
今回は桂浜へ行く予定はない。

16:01
高知城の記憶がないのは、天主閣が小さいからかな。

天主閣から。

お城観光客の3割は中国人(中国語を話す)団体だった。その数は日本の若者観光客より多い。高知にまで中国人観光客が来る時代になったのだ。城内や周辺に英語と中国語(台湾含む)の案内を多くした方がよい。

16:07




ホテルで見たテレビの天気予報。こんな多くの情報を出す。良いことだと思う。
ところで明日は何月何日?テレビ局がこういう画面をプログラム的に自動作成しているならば入れてほしいな。手入力ならばミスのリスクが増えるので不要かな。



6月6日(金)

今日は足摺岬へ行く。
高知駅北口。「とでん」が止まっていた。8:33

高知の路面電車を「とでん(土電)」という。
土佐電気鉄道株式会社
「とでん」の路線図や乗車料金表も日本語だけじゃなく、これからは英語と中国語が必須だろう。

政府は外国人観光客を2000万人/年にしようとしているが、高知や足摺のレストランだって外国人から収入を得たいなら、彼らが安心して入れるよう、「英語や中文のメニューがあります」という張り紙と、メニューも翻訳して指差して注文できる仕掛けが必要になる。弁当屋ならハラルフードの予約を受け付ければ良い。特別な締め方をした鳥を冷凍保存するなどで出来るはずだ。
2月にヤンゴンへ行きチャイナタウンの串焼き横町へ行ったが、外国人観光客で混んでいるのは、店頭に写真入り英語メニューを置いてある店だ。そこではテーブル上の店頭と同じメニューを指差して店員へ「ディスワン。々。」というだけで注文できる。
ミャンマー人は「ここは高い」と言ってミャンマー語のメニューだけの安くておいしい店に入る。
高知のレストランやホテルは、ヤンゴンより外国人観光客慣れしていない状態だ。まあ、東京の銀座にあるレストランも、ヤンゴンよりまだ外国人観光客慣れしていないのだろうな。

ホームページにしろ張り紙やメニューにしろ、日本語の英文化や中文化は、インド人や中国人が安く請け負ってくれる時代だ。私は頼んだことがないが、ここでもよい仕事をするらしい。
最近、三菱UFJ銀行からのメールを装ったニセメールがよく来るが「あなた」を「貴様」と書いてあったりする。発信者はお金を稼げるほどの知識がないからニセメールによるフィッシング詐欺に走るといえばそうなのだが、日本語は特殊で何十種類もの「あなた」があるからこういう詐欺師側の間違いが生じるというのもある。
英語では「you」だけ、中国語も「?」だけ使えばよいのだ。
外務省のパンフレットじゃ困るが、民間企業の張り紙やらメニューは表現が少し間違っても失礼が無く何んとなく意味の分かる内容で、税込み価格が間違ってないのなら十分じゃないかな。
下は銀座のすし屋の店頭にあった張り紙。(多分、おかしなところは無い。)


ちなみに、最後に「都電」に乗ったのは、15年前に大塚駅前のHP社へ行ったときだ。目の前を走る都電に乗りたくなり用事が終わった後、大塚駅から早稲田まで行った。学生時代以来だ。その後、早稲田から高田馬場まで歩いたのも40年以上ぶりだった。

JR高知駅は「アンパンマンのマーチ」が発車ベルになっていた。

途中の中村駅。11:12


車窓からだが、沿線はメドハギが群生している場所が多かった。走っている車窓からなのでメドハギだとは断定はできないが、この時期は草丈40センチ前後のスッとまっすぐに立つ草だ。

バスを足摺岬センターで乗り換え、足摺岬まで行った。12:30頃着。

足摺岬灯台。12:41


展望台から。12:52

天気予報や台風時の足摺岬中継は、近くまで車が入るためかこの展望台から行われる。
このホームページの壁紙色は上写真のどこかから取っている。

天狗の鼻から。12:59

ほとんどの観光客は天狗の鼻まで足を伸ばさない。


足摺岬にある足摺山。お遍路の八十八霊場の一つだ。参拝客はお遍路さんが多い。参拝。

お遍路さんといっても、普通の観光客姿やお教が書いてある白い法被を着た人、上下とも白装束の人、杖を持っていたり、いなかったりなど様々だ。

高知ではお遍路さんが大産業になっている。我々、退職した団塊の世代の時間つぶしには、四国88カ所巡りは目標として丁度よいのだろう。世界遺産にして、お遍路さん産業を更に大きくしたい気持ちが分かる。
退職後に訪問数を挑むのに百名山登山もあるが、これは体力的にも金銭的にも時間的にも難度が高い。野外トイレや雑魚寝する山小屋宿泊などの精神的な障害も大きい。会社の先輩は50代後半であった10年前に会社を辞めて100名山に挑んでいる。1年前に40峰を超えたと言っていた。

足摺岬に滞在40分強。

中村駅行き路線バス、足摺岬発13:12か14分発にて引き返す。
観光には1時間欲しい。一時間あれば急がないで観光できただろう。


15:00中村駅着。



中村駅の南風24号(15:10発)。アンパンマン列車だ。車内チャイムもアンパンマンのマーチの列車だ。15:09

高知駅に17:01着。

高知駅。17:10

上は「アンパンマンとでん」だ。

高知の誇る三偉人像が駅前にあった。駅に止まっている列車は乗ってきた南風24号(アンパンマン列車)。
像の氏名の後ろに先生と付けたのはなぜだろう。また、こういう銅像でいままで不思議だったのが色付けがないことだ。絵なら色付けをするのが普通だろうに‥。まあ、これは発泡スチロールとウレタン製の1体約400キロの像(高さ約5・3メートル)というから、プラスチック像を青銅色に着色している。17:11

皆、若い。武市は37歳、坂本は31歳、中岡は29歳で死んでいる。
世の中を変えるには、それ以前の10代や20代の若者が立ち上がらねば駄目なのだ。年寄りは山内容堂のように若者を支えるのが正しい。といっても容堂は21歳で土佐藩藩主になり明治5年に44歳で死んでいるので、青年期に彼らを支えたと言えるかな。まあ、支えるといっても武市を切腹させたりして、今の我々から見ると、自分を可愛がることを優先させた人だったのかもしれない。
土佐藩の志士たちは、幕末に死んでしまったので明治政権の重鎮になった人が少ない。私が知っているのは後藤象二郎ぐらいだった。
この2日後の発見になるが、市内に自由民権記念館という立派な箱物があったので、亜流政治家の板垣退助もいたと気づいた。

夕食は、はりまや橋近くの帯屋町にある「土佐ノ国 二十四万石」。
常連さん優先の店らしく、私のような一見の観光客にはサービスが悪かった。
高知の水産物(手長エビやモズクの揚げ物、クジラなど)が味わえ、メニューの一番上に書かれていた観光客向けであろう土佐定食(1,890円)を食べた。塩で食べるカツオのたたきと海苔の味噌汁だけは美味かった。その他は不味くなかったと美味くなかったの中間ぐらいか。まあ、手長エビなど、どう調理しようと美味くはならない食材もあったからなあ。

高知の一等地「はりまや橋」の近くにある店だ。1,890円の食事で期待をしちゃいけないかな?


6月7日(土)

今日は室戸岬と龍河洞観光だ。

小雨の中ホテルを出発。

8:30高知発、奈半利(ナハリ)行きに乗車。

しばらくしたら雨は止んだ。

奈半利までの土佐くろしお鉄道は各駅にやなせたかしのキャラクターがいる。安田駅はアユ君だ。アユ君看板は何年ぐらい続けるんだろう。

奈半利9:41着。

奈半利9:53発の室戸世界ジオパークセンター行きバスで室戸岬へ向かう。
このバスの沿線は海岸前に墓が多いことと、津波からの避難看板が多いのが印象的な地域だった。確かに高知は南海地震で大被害が予想されている。
住民も老人が多い。

室戸岬着。10:46

室戸岬。10:53


ニホンザルやニホンアナグマがいた。


ニホンアナグマは初めて見た。

この辺りは自然が残るのを実感する。

横浜では見かけない植物も
タイトゴメ(マンネンソウ属) 多分。


展望台から。11:40

曇りの日だったが、時折の雨の中の観光だった。

今回の旅行は、梅雨期なので天候を心配したが、観光地で雨に降られたのはここ室戸岬の5分ほどだけだった。その他に雨だったのは、昨日の朝、今朝、この6時間後の全て高知駅周辺だけだ。

奈半利からのバスの終点である世界ジオパークセンター(ディープシーワールド)は前日にホテルで調べたが、税金が無駄使いされた箱モノのようなので、行くのを避けた。税金で作られた社会に不要な施設を利用すると社会悪に加担したような気がするからだ。

室戸岬11:51発の安芸行きバスで奈半利へ戻る。奈半利12:43着

奈半利駅。12:54


奈半利駅12:05発の列車で龍河洞へ向かう。
御免駅で土讃線に乗換えて土佐山田へ。

JR土佐山田駅前。14:20

駅前からタクシーで龍河洞へ。

親切な運転手さんだった。

龍河洞の土産物屋は閑散としていた。14:43

ここは日本三大鍾乳洞という触れ込みだ。

龍河洞内部。冷たい空気が心地よい。14:48

かがんで進まなければならない所がある。ベトナムのクチでのベトコントンネルや赤いピラミッド観光を思い出したが、距離は短いのでつらくはない。

14:50


こんな階段も登る。15:00

出口は入口より何十メートルも上になる。

洞内には弥生時代の土器やら焚火跡が見つかったという場所もあった。

ここは良い観光地だ。

鍾乳洞出口にあった入場無料「珍鳥センター」にいた尾長鶏。鳥が横も向けない。戦後間もなく造られたようなケースに入れられて一生が終わるのだろうか。残酷で可哀そうである。こんな見世物はこの鶏の代で止めた方がよい。まあ、若くして食べるために絞められる雄鳥と、立てなくなったら絞められるこの鳥のどちらが可哀そうかは難しい問題だが‥。

この尾長鶏の前には、何故か2枚の、しかも等身大の龍馬の写真が飾ってある。また横は、室町時代なら珍鳥だったろうが今はそうじゃない七面鳥が檻に入れられている。50秒で退散。
それにしても150年前に31歳で死んだ若者や物言わぬ鶏を材料に、現代の大勢の老人たちが税金を食い物にしようと群がるのは情けないと思う。15:18

公益財団法人だそうだ。ここにはヌクヌクと税金から退職後の収入を得ているお役人が巣くっているのだろう。「こんなのをつぶせなくて、高知県知事だった橋本大二郎は、仕事ができない人だったんだ」と思った。今の知事や歴代の知事は、県民の為になる面倒な仕事を避け、楽をしてきたんだろう。旅行後の自宅で、テレビのコメンテータとして出演していた橋本大二郎を見たときに、チャンネルを回した。税金の無駄遣いを止めるというきれい事ができなかった前知事の、上面だけできれい事の意見などを聞くと時間が無駄になるからだ。

15:42発の「はりまや橋」行き路線バスで御免駅前まで移動。16:12着。
時刻表(コピー:この日は土曜)
御免駅16:22発のJRで高知駅へ。16:46着。

駅近くで一杯飲んだ後、酔いさましに散歩した。小腹が空いていたので「すき屋」に入り久しぶりに牛丼を食べた。吉野家の米は福島産だそうだが、ここは茨城産だった。ちょっと安心する。久しぶりで美味かった。「すき屋」は強盗に襲われやすい一人勤務があるなど、日本の代表的なブラック企業だが、ここは女性2人の勤務だった。19時台の高知一の繁華街だから当たり前かな。

ホテルへ向かう。

6月8日(日)

この日は土佐弁で。
一日乗車券で市内観光。土佐弁の日だっちゃ。




500円。市内の200円均一区間のみに乗れる切符だがな。
ごめん、いの方向の電車に乗るときは、200円均一区間外もあるので整理券を取らねばならないき。それが注意だっちゃ。
「とでん」全区間の一日乗車券だと1000円になるにゃ。

日曜市でゴボウ天を食べたぞな。食べた後、ある人からイモ天がおいしいと言われたことを思い出したぜよ。


日曜市で見た気合いの入っているお遍路さんぞな。喜捨を受けちょった。

おんしらぁ変わり者か、思い込みが激しいか、単純なんだがや。こんなことして、自己満足するのかのう。
当たり前だが、喜捨する人は見なかったにゃ。お金が欲しければ、こんなことせんで働けばよいことなど、子供でも知ちゅうことなや。まあ、喜捨を受けている自分の姿、形が欲しかったんじゃろうのう。

はりまや橋から桟橋方向は線路に芝が植わっているぞな。

前方から来た電車に乗ったちゃ。

車内にはこんなのが掲示してあるがや。

昭和32年は1957年だっちゃ。この電車は今年(2014年)で57年間働いているがやね。

高知で見た野村証券のポスターがや。この絵は猫?犬?なんだっちゃ?

わしは以前、こんな色と模様の犬を飼っておったにゃ。

午後の飛行機で羽田へ向かったなや。

お土産は高知駅内にある土産物屋で買うた芋ケンピと土佐日記というお菓子だがな。芋ケンピは美味かったちゃ。

高知県は老年人口が25〜30%だっちゃ。なるほど、若年層が少なく老人が多い印象だき。10年後の日本の縮図にゃ。

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下の記事から2位は岩手県岩泉の龍泉洞だっちゃ。2014.07.19日経なや。
しかし「神の壺」という名付けは良くないちゃ。
土器の価値を自賛し大きく言いたいちゅう気持ちはよう分かるが、観光客にはそれほどのものとは思えんとがに。謙虚さがほしいのう。


2014.07.26


2月に行った仏教国のミャンマーでヤンゴン市内から10km程離れた田園地帯の道路脇にあったレストランにゃ。こんな店でもハラル対応だったぞな。



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