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ミャンマー再訪  2015.11.12(木)~22(日)

2015.11.12(木)
マレーシア航空MH089(成田10:30発、クアランプール(KL)17:05着)
今回はKL経由でミャンマーに入る。

クアランプール空港から高速鉄道(KLIAエクスプレス)でツインタワーへ向かう。乗車券。

往復70リンギット。

KLセントラル駅ビル内で夕食。18:52

Yが駅内のマレーシア航空事務所へ行き、帰りの航空券をビジネスに変更した場合の価格を聞きに行った。今回の旅行は帰りが夜行便なのでビジネスにしたかったのだ。追加料金は約7万円とのこと。今持っているのは、安売りの変更不可と書いてある往復5万5千円の航空券だが、このときのマレーシア航空は会社事務所へ行けば変更できたのだ。ベルリンから成田までルフトハンザの安売りエコノミーを300ドル(当時:3万2千円)でビジネスに変更した話を数年前に聞いたこともある。そんなことで、5万円以下ならと変更しようと決めていたが、高いので諦める。最初からビジネスを購入していれば往復12万数千円だった。値ごろ感は5万円だ。最近の航空機はビジネスクラスの割合が大きくなり安くなっている。ここでバタバタしないで初めからビジネスにすれば良かった。
それにしても、北海道や九州へ行くよりエコノミークラスでクアラルンプールやヤンゴンへ行く方が座席幅が広く運賃が安い現状はおかしい。日本が、既得権益を持つ連中が力を持っている社会なのが分かる。インフレよりも、まずこういう連中を退かしてデフレを進めるのが、国家のために正しい方向と思える。20年前の日本は世界最先端の携帯電話技術があったが既得権益を持っていた通信業者や天下り団体が小金を欲しがって退かなかった。そのためその技術が世界標準規格になれずガラパゴス状態となり、ノキア、CISCO、アップルやサムソンの台頭を許し、日本の電子産業はボロボロ、ガタガタになった歴史を持つ。そんなことがいろいろなところで起きた結果、日本人は貧乏になってしまった。我々団塊の世代でも、小学校で日本人はイタリア人よりは一人当たりGDPが高いと教わった。今は、イタリアよりも低くOECDでも低位なった。一人当たりGDPで世界第3位の時代が懐かしい。政治家の仕事は国民を豊かにすることだ。

1997年にクアラルンプールに来たときにツインタワーは建設中だった。それで、今回のミャンマー旅行前に是非寄りたかったのだ。

42.4リンギット(1280円)

それにしてもクアラルンプールの近代都市への変貌には驚いた。
97年は都市型列車はなく、バスは治安が悪いので、旅行者は乗らない方が良いと言われていた。移動はタクシーしか使えなかった。道路は朝夕に凄まじい渋滞だった。

ペトロナスツインタワービルへ登るには上のタワー観光ツアーチケットを購入する。切符を購入してから入場ゲートに入るまで、30分ほど待たされた。十数人ほどが一つのツアーに組まれる。20:21

ツアーが始まると、首掛ストラップ付きのカードを渡される。カードには色が付いていて、ツアー客はカード色ごとに団体行動をしなければならない。
上写真はツアー最初に行くタワーの連絡通路。
ツアーは上階の展望台で15分過ごさなければならない。展望台に同時にいるのは3グループだ。
どんな良い景色でも20秒で飽きるものだから、早く降りたい旨を伝えたが「お前は黒カードだからしばらく待て」と阻止された。20:36

展望台で集合時間が来るとエレベータ横で「ブルーカード」などと係員が大声で怒鳴る。
全員が集まらないと、展望台内を係員がカード色をチェックして回り、全員が同じエレベータで降りる。

飛行機を降りたままの大きなスーツケースを持ってここまで来た。
入口でセキュリティチェックを受けた後に、カメラなど以外の荷物は横にある荷物預かり所に渡す(無料)。


クアラルンプール ibsホテル泊(ibis Styles Kuala Lumpur Fraser Business Park)。

電車駅から屋根のある通路でホテルまで行ける。スコールの時など、うれしいらしい。111.30リンギット/泊。(3340円/泊)。
都心から遠くチープな造りで湯船はないが、熱いお湯が出て部屋は清潔だった。
安めのビジネスホテルだが、部屋でお酒を飲んで寝るだけなので不満は無い。


2015.11.13(金)
IBSホテル前にあるインド料理レストランで朝食。
カレー皿、ナン、ゆで卵とチャイ。

クアランプールからヤンゴンへ移動。
MH740(マレーシア航空 11:05発)。ヤンゴン11:15着。
ミャンマーとの時差は日本の方が、2時間30分進んでいる。
KLは1時間。

kさんご夫婦と奥さんのmさんの弟さんyさんが迎えにきていた。
今回の旅行もkさんご夫婦にお世話になる。

6人でゴールデン・ダック(公園店:Kan Taw Mingalar Park)で昼食。13:15

北京ダック一羽、アスパラ炒め、エビ野菜炒め、うなぎから揚げ、チャーハン、春巻。
ゴールデンダックはヤンゴン市内に何か所かあるが、場所が良いのでここが一番高いらしい。


ホテル着。
昼食がガッツリしたものだったので、夕食は近くのパン屋で買った惣菜パン。
パンは5つ買った。夕食3つ。朝食2つの予定だった。ビールも飲む。

3つを食べた後、日本の友人からLINE電話があった。電話後に何となくお腹が減り、残り2つのパンも食べてしまった。
ちなみにミャンマービールはキリンの子会社だ。
しかし、社長は日本人だ。現地化を進めないと、ダメ会社になりシェアを落とす。
外国に打って出るに必要なことが、キリンの経営者は分かっていないのだ。
現地法人の責任者を日本人にして、日本にいる自分たちが楽をすることを、必要なことより優先してしまうのだ。
日本は日銀が輪転機を回し続けている。しかし、投資先が国内にはなく、とんでもなく金余り状態で超低金利になっている。誰が考えても海外進出し易く、海外進出の絶好機なのだが経営者が楽をしたがる会社の失敗は予見できるものだ。シェアを落とし業績が悪くなり、買収した海外子会社を買い叩かれて手放す姿が見える。

ヤンゴン泊(ブリスホテル)。
 
ストリートビュー
Wifiは1階のロビーとレストラン、ホテル前道路しか使えない。私の部屋は3階の道路側だったので、LINE電話は時々途切れるがそれ以外は使えた。
前回来た時にホテルカードを求めたら、紙に手書きで書いたり領収書を破いて手渡されたが、今回はホテルカードが置かれていた。
そして宿泊がパン、ハムと目玉焼き、オレンジジュース、コーヒーの朝食付きになっていた。
前夜に朝食用の2つのパンを食べてしまったのもノンプロブレムだ。


2015.11.14(土)
ヤンゴンからインレー湖へ。
終日移動。6:00前に出発。

下は今日から2日間のヤンゴンからタウンジ―までのルート。


途中のピュー(Phyu)にあるSA内Feel Express 115 miles で朝食。9:00


平打ち麺の焼きそば。9:08


ヤンゴン~マンダレー間の高速道路の標識。

赤○は制限速度(km)。
175/6はマイルストーン。ヤンゴンの高速道路起点からの距離(175.6マイル)。0.1マイル毎に置かれている。
所々にある高速道路上のゲートの係員に出口、SAやガソリンスタンドの場所を聞くとマイルストーン表示で教えてくれる。
「zzzへ行くにはどこで降りたらいいの?」「175のyyy(地名)出口を出て右を行くんだ。」
青のストーンもヤンゴンの高速道路起点からの距離(km)。1km毎に置かれている。これは2年前には無かった。175.6マイルは282.6kmだ。
もう2年経つとマンダレーまで何キロという表示も出てくるだろう。
あと一つ、2年前になかったものに、路側帯に速度表示計設置がある。車の時速がkm表示され運転手に安全運転を喚起する。

ちなみに、ヤンゴン・マンダレー間は364マイル(586km)。この道は東海道の日本橋を起点とするアジアハイウェイ1号線である。

高速道路をトラックは通れない。トラックは一般道を使う。

途中で見た牛車。2頭で引くのが一般的だ。


お祭りの季節だったので、行く先々でお祭りだった。これは牛舞いだな。踊りを見せてくれた子供たちに1000チャット。


途中の町、カロー(Kalaw)でトイレ休憩。
カローの市場。14:38



インレ―湖の近くにゲートがあり外国人は入場料を支払う。17:09

インレ―湖にはk氏は若い頃に列車で来たことがあるそうだ。奥様のmさんは初めてという。

10ドル/人。


インレー湖泊。Goodwillホテル。45000ks/泊。
17時40分着。インレ―湖上流の観光拠点ニャウンシェ(NyaungShwe)にある。

湯船があったが、ぬるいお湯がチョロチョロとしか出なかった。
1時間溜めてもお腹が出る。そしてお湯は冷めている。
wifiは1階のロビーでしか使えない。

徒歩5分のレストランで夕食。18:17

中華丼。旨かった。
食事したレストラン。シンヤー。SinYawRestaurant。19:00



2015.11.15(日)


手前の舟でインレー湖へ向かう。8:43


インレ―湖への運河を進む。8:49



湖の入口で芸を見せチップをねだる。400円程度を渡す。9:02

彼らは本当の漁師らしい。朝の漁の前の小遣い稼ぎだ。


湖から泥混じりの水が流れる川を上る。9:57

川の水深は浅いので操船を誤ると川底に乗り上げてしまう。


インティンパゴダ。

インティンの船着き場。10:51。


カメラフィーを支払う。



延々とこのような参道が続く。11:01。

天井の構造はどうなっているのだろう。地震が起きたらすぐ横へ逃げねばならないな。コンクリート天井へ縦に埋め込まれているように見える木材が不安感を起こさせる。木材が無ければ一枚のコンクリート板が梁に置かれていると思うので安心なのだが‥。電球を吊るすための木材を取り付けただけなのかな?

11:12。

11:16。


ここで昼食。
奥は揚げ春巻き。旨かった。右の皿の青菜は高菜の漬物と同じ味だ。11:45。

右の箱にはナプキン代わりのトイぺが入っている。
焼きそば。




ファウンドー・パゴダ。13:25


仏像(?)に金箔を貼る。金箔5000チャット。13:34。


浮き畑観光。
14:23.。



ガーペー寺院
14:31。


猫寺である。お茶や湯飲みは使いまわしである。大勢が使い、湯飲みをひっくり返して元に戻す。座っているお坊さんは話相手になってくれる。私も話しかけられたが、分からなかったので手を振って終わってしまった。身振り手振りでも相手になってくれるらしい。14:34

ここでトイレに入った。お寺の中だから当然裸足である。
便器前が濡れていたが、足を開けば濡れた所に足を置かずに用を足すことが出来る濡れ方だった。何とかセーフで終わる。ここでのセーフで終わった(成功?)体験が数日後に甘い考えを引き起こした。14:35



首長族のいる土産物屋へ寄る。前日にKさんへ友人から教えてもらった「猫寺と浮田とここへボートを使って行って欲しい」と要望した。
自分の奇異な姿を「見せ物」にしているのだからと、私は1000チャッ(約100円)渡した。写真は撮らなかった。
この日の夜に、私がインレ―湖観光をしていたのを知っていて、ここを教えた友人からLINE電話があり、首長族のいる店へ行った確認の後「わざわざ見に行ったのだから、お金を沢山渡したんだろうな、誰も自分の姿を見せ物になんかしたくないものだ」と言った。
同じことを考えていたが、それを聞いてお金をケチってしまったことを後悔した。ケチりたいのだったら、首長族を見に行かなければ良かったのだ。電話の最中に、インドで見た両手が無い物乞いを、ガイドさんが「物乞いのために、小さい子供の頃に親が両手を切り落とす」と言った話や、子供の頃に見た時代劇映画で人に紛れる定番場所の見せ物小屋の「ろくろ首」と「親の因果が子に報い、かわいそうなのはこの子でございます。」の口上を思い出した。
友人は、以前に訪れたときに、この店でたっぷり買い、首長族へたっぷりチップを置いてきたそうだ。

ちなみに、一日のボート代は船頭一人がついて3万チャット(3000円)/艇。8:40~15:15まで乗った。

昨夜の宿が良くなかったので、ミャンマー第三の都会であるタウンジーへ移動し宿泊。

タウンジーホテル。山のふもとにある。17:08。

国営だそうで、偉い役職のお役人は無料で泊まれる。この日も要人が泊るらしく、2台のパトカーに先導された車が来た。
私が泊った部屋にバスタブは無かった。
wifiは本館ロビーでのみ使える。私の部屋は新館だったが本館側の部屋であった。窓際でLINE電話は途切れたが、メールは使えた。

タウンジ―の町まで降りて夕食。その後、夜市散策。ミャンマー第三の都市にしては小さい町だった。



2015.11.16(月)

ホテルでバイキング形式の朝食。紙に包まれているのは赤米の粽(チマキ)。その横はネギ。8:15


タウンジ―ホテルの新館。本館玄関前から撮る。
私の泊まった部屋は、出入り口横に止まっている白い車の前の2F。8:40


タウンジーからマンダレーへ車移動。

案内板の通り走った。マンダレーまで一般道だった。


途中、タウンジ―東にある山の麓にあるSulamuni Pagoda(スラムニパゴダ)へ寄る。タウンジ―で一番大きなパゴダだ。8:50

バガンのアーナンダ寺院と同じく東西南北に大きな仏立像がある。8:59



更に山を登りshwe phone pwint pagoda(ショウ・ホン・ピントパゴダ) へ。9:51

景色が良い。タウンジ―の町が見える。9:47


左の山の中腹横にチョット白っぽい筋として見えるのがインレ―湖。9:51


タウンジ―観光を終わりにして、マンダレーへ向かう。

途中のシェンヤンの町(Shwenyaun)。お祭り中だった。この町はインレ―湖、タウンジ―、メティーラ、ミャンマー東北部へ通じる道が交わる交通の要所である。10:55


カロー(Kalaw)で昼食。
中華丼。この辺りはカリフラワーが特産だ。12:55






レストラン。13:18



19:00マンダレー着。


ホテルの従業員に良いレストランを案内してもらう。

マンダレーの夜店。20:04

右のビルがホテル・シェピタン。

マンダレーレストラン(MyaNandar)で夕食。ホテルから徒歩10分だ。20:13

ナマズ料理などを食べる。

この店の前からバガン行きの船が出ている。

マンダレー泊。45ドル/泊。

ここで寝ている間に腕やお腹など14か所を虫に刺された。
朝食はパンと卵、コーヒーだが良かった。


2015.11.17(火)

マンダレー観光

マンダレーにはmさんは大学講師時代に出張で来たことがあるという。出張なので観光はしなかったという。御主人のk氏は初めてだ。

マンダレーヒル。

9:48
マンダレーの町。ミャンマー第二の都会というが小さい。農業国とはこういうものなのかしらん。9:45


旧王宮。

10:56

旧王宮内にある展望台から。11:31


王宮の門前にあるレストランで紅茶を飲む。



王宮からウー・ペイン橋までバイクタクシー(右のバイク)が先導し道案内をした。12:11


ウー・ペイン橋。
12:42



12:56

この橋の横にあるレストランで昼食をとる。


14時、マンダレーからヤンゴンへ移動。
高速道路を利用。

10時間の車移動。メティーラのSAで食事。16:02



ピュー(Phyu)にあるヤンゴン方向SA内にはガソリンスタンドがない。マンダレ―方向のSAにはあるので、給油のため一回高速道路を下りてマンダレ―方向の高速に入りSAへ行き、給油後にまた降りてヤンゴン方向の高速道路へ入った。


24時20分にヤンゴン着。
ヤンゴン泊(ブリスホテル)



2015.11.18(水)


チャウッターヂーパゴダ。
ホテルからタクシーで3000ks。10:28

可愛い顔である。まつ毛も長い。10:29


タクシーでシュエダゴンパゴダへ。2000ks。

シュエダゴンパゴダ
ヤンゴンへ行ったらここに寄らねばならない。

北口から入る。

11:19


英語での曜日説明がある。

白い石像に黄金を張ってある。

金曜のモグラ像はパゴダに2ヶ所ある。ここのモグラは金が剥げている。
近くで見ると、金膜が分厚いのが分かる。



土曜のドラゴン。ドラゴンというよりコブラだ。12:08






また、金曜のモグラ。12:12


夕方に友寿司でk氏弟のt氏と飲む。私は初対面だったが明るい方で楽しく飲めた。
ちなみにヤンゴンで泊っているブリスホテルはt氏の友人がオーナーだ。
帰りにtさんご推薦の店(Health Blessing Massage and Spa)で肩こりマッサージ。
上手かった。1時間10000チャット(チップ込)。

ヤンゴン泊 (ブリスホテル)



2015.11.19(木)

バゴーへ日帰り旅行。

バゴーは第二次世界大戦で日本軍とイギリス軍が激しく戦ったところだ。
ちなみにこの戦争で23万人のミャンマー人が死んだ。

シュエターリャウンパゴダ

11:36

11:58

右手は昨日行ったチャウッターヂーパゴダの涅槃仏のほうが自然だ。枕にしているのは宝の入った箱である。

カメラFee 300Ks



シュエモード・パゴダ(Shwemawdaw Pagoda)。

金曜のモグラ。12:40


土曜のドラゴン(コブラ)。12:50


カメラFee 300Ks

パゴダ内は裸足である。
このシェマウダウ・パゴダ(Shwemawdaw Pagoda)内のトイレに入った。汚ないトイレだった。しかし、インレー湖の猫寺での汚いトイレ便器でも何も起きなかった体験から、甘く考えて引き返さなかった。トイレの中はビニールの芝マットが敷いてあった。裸足でも気持ちよくトイレに入れるように芝マットを敷いているのだろう、なんて緑がきれいで乾いていた入口付近では考えた。しかし小便器に近づくにつれマットは黒く汚れ、ビショビショになった。後ろを見たら大勢が私の後列に並んでいた。便器の2メートル前では水が浸み出て足裏だけでなく側面までが濡れた。トイレの中に手洗い場などの水を出す施設はない。何が足を濡らすのかの答えは一つしか思い浮かばなかったが、引き返すには遅すぎた。
用を足して外に出たら、女子トイレ前に手洗い用のコンクリート桶があり横に水汲み桶が置いてあった。足に水をかけて洗った。時間をかけて洗いたかったが、水汲み桶を待つ人が何人もいたので2度ほど水を汲んで終えた。
水虫の治療は真夏に海岸の熱い砂地を歩くのが一番良いことを思い出し、トイレ後に仏塔を周る時は日が当っている熱い場所を歩いた。
しかし、ヤンゴンへ帰る途中の車中で気分が悪くなった。ヤンゴン南部の港を観光する予定だったが、ホテルへ帰ってもらった。ホテルに帰ったら吐き気と悪寒がしてきて、下痢になった。足を丁寧にシャワーで洗い、正露丸と風邪薬をのんだ。夜に少し落ち着いてからバスルームで足裏やその脇を見たら両足とも数か所が赤く膨れていた。雑菌が入ったのだ。
帰国直後には犬に下痢をうつしてしまった。あわてて玄関、トイレ、洗面所、台所、椅子やスリッパ、靴、靴下や下着を塩素系漂白剤で消毒した。治まったと思っていたが、帰国2週間後には病弱な友人へもうつしてしまった。友人は体調不良で体重が3.%以上減った。病気をうつしてしまったので、精神的にも苦しんだ。反省。

今回はノロではないが、まさに以下の記事と同じ処置をした。
記事 コピー
旅先でこういうこと、特に悪寒のような症状がでると、BLISSホテルのように熱いお湯が出ないホテルは体を温められないので辛い。ベットの中で悪寒に襲われながら大雪山系・トムラウシ山で起きた低体温症による遭難事故を思い出したほどだ。良いホテルへ移りたかったが動く気力が失せていた。エアコンを消し、持っていた長袖シャツやらセータ、毛糸の靴下を何枚も着込み毛布を2枚掛けて寝て、汗を出した。
日本で悪寒に襲われるような体調不良時は、熱いお風呂に入り「強」にダイヤル設定した2台のあんか(広電)を布団に持ち込んで寝る。あんかの一台はお腹の上に置く。
病気をうつしてしまった友人には、あんか(一台)をプレゼントした。


インドナツメ。
中国の影響が大きいからか、暑いからかミャンマーでは食事には必ず火を通す。
一昨日(17日)火曜の夜にビタミンCのある生野菜・果物が食べたくなり、メティーラSAで買っていた。体調不良時は尚更体がビタミンCを求めるものだ。野菜代わりに齧って食べる。


ヤンゴン泊(ブリスホテル)



2015.11.20(金)

ホテルのレストランで朝にオレンジジュースを2杯飲む。

体調を崩しているので朝から休養。


ホテルから200mのここのコーヒー店でカフェラテ(3000Ks)を飲んだ。chatime。日出茶太、Lanmadaw店。

台湾資本のチェーン店らしい。ミャンマーにしては高い値付けだが客入りは良い。
ヤンゴンでの中心部は家賃の高騰が激しく利益率の高い店しか残れないらしい。12:00

速いwifiが使える。日本にも支店がある。
2年前に通ったこの店の近くにあったメイド服を着た可愛いウエイトレスがいた「アイスクリームバー(ICB)」は無くなっていた。

私が上写真の席に座っていたら、店内まで入り込んだ7,8歳の托鉢の子供がやってきて寄進をねだった。
このとき店にお釣りがないのでしばらく待ってくれとのことで、まだお釣りをもらっていなかった。
私の財布にある最少のお金は1000Ks(約100円)だったので、それを渡した。それを見ていた店員が「ここは入っちゃダメだよ(多分)」と言いながら、その子を前抱っこして店外に連れ出した。

12:30に2日前に行ったマッサージ店(Health Blessing Massage and Spa)へ行ってまた肩こりマッサージをしてもらう。帰りに日出茶太と道を挟んだ場所にあるスーパーでお土産を買う。
その後、露店でカットスイカを買い、ホテルまでの道すがら食べる。300チャット。

夕方に新橋横丁でk氏の弟のtさんと飲む。

足がきれいな日本人女性(後ろを向いていたので顔は見ていません)がオーナーの店。
この店の前にあるスナックも同じ女性の経営だそうだ。女性オーナの店だけあって、ミャンマーで一番トイレがきれいだった。
飲んべえなtさんに申し訳なかったが、体調が悪いので早めに終わる。

ヤンゴン泊(ブリスホテル)


2015.11.21(土)


MH741(ヤンゴン発12:15、クアラルンプール16:30着)

空港で余ったチャット紙幣をKさんの弟さんへ「帰りに皆でゴールデンダックでお昼ご飯を食べて下さい」と言って渡した。


MH088(クアラルンプール発23:35)クアラルンプール経由で帰国。

クアラルンプール空港で待ち時間が7時間あったので、入国し再度ペトロナスツインタワービルへ行った。
18:14

APEC開催で警備が厳戒態勢だった。

夕食は隣駅のパサール・スニ(Pasar Seni)駅下の店でフライドチキン。19:12

中華街にも行きたくてパサール・スニ駅まで来たのだが、体調が悪くなり空港へ引き返し、休むことにした。空港で日本のkさんとLINEで長話をしたので。すぐ時間が経った。

機中泊

2015.11.22(日)
朝、成田着。


片道3300円のリムジンバスとサービス内容は同じである。もうこれしか乗れないな。
しかし、既得権益者のリムジンバスを守る規制があるらしく成田ー東京駅ー東雲車庫のルートになって路線バスとして運行している。嫌がらせに、東京駅ー東雲車庫を走る義務を押し付けられているのだ。こういう会社は応援したい。頑張れ京成バス!3300円のリムジンバスは役人が天下り先を温存しようと、国民に無駄金を使わせる例だ。JALが潰れたときに天下りの元役人がJALに70人いたという。同じ構図がリムジンバスにもあるのだ。ANAや空港設備や売店や駐機場、駐車場などの店や管理会社は元役人の巣窟だ。日本はこのようなことが数多くあり、国力を落としていく。日本人として情けないな。ちなみにJALへ寄生し甘い汁を吸っていた元役人は3人だか7人だかを残して、辞めたそうだ。
京成バスには成田ー横浜間も運行して欲しい。現在片道3600円だから1200円以下で30分毎にお願いしたいな。路線バスにしなければならないならば東口のバスターミナルと西口の天理ビルで良いんじゃないかな。ガンバレ!!京成バス。


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旅行中はk氏ご夫妻と、日本にいる友人にお世話になった。
ありがとう。心から感謝します。
日本へ帰ってから、k氏へお礼の電話をしたら、飛行場からの帰りに「ゴールデンダック」へ行って昼食を食べたという報告があった。


k氏の奥様のmさんに、食堂で指し示せば注文ができる代表的なメニューを書いてもらった。

焼きそば


チャーハン


中華丼


鶏ソバ屋で汁鶏ソバ

屋台でもこれを示せば何とかなる。


大勢の方にシュエモード・パゴダで裸足で汚いトイレに入ったことを呆れられてしまった。
皆から、危ないと感じたら不審がられようが、恥かしく思っても何でも逃げなければならないのが海外旅行なのだと言われた。

*********************

お土産

ヤシ砂糖。k氏から。


ウイスキー。お世話になった。



タウンジーの夜店で買ったミャンマー茶。k氏の奥様が購入していたので買った。2000ks。大袋である。
ミャンマーで普通に飲んでいたが、日本に帰ると口に合わない。せっかくのお土産だが、これは捨ててしまった。


ミャンマーティー。期待していなかったが、おいしい!!

中に入っていた紙の表裏。

同じことが書かれているのだろう。




お土産にコーヒーを買おうと思っていたのだが、最終日のスーパーで思い出せなくて忘れてしまった。

パン屋の領収書。この店の隣のスーパーマーケット(ChinaTownPointCentre)で、ウイスキーやおつまみの買い物をした後、このパン屋(Seasons Bakery)の惣菜パンを翌日の朝食用に買った。13日。

貼ってあるスタンプは消費税スタンプだ。ミャンマーにもが消費税が導入された。
店は印紙のようなものを買ってレシートに貼り付ける仕組みだ。税率は5%で50ks以下は切り捨てる。
ようやく「ちゃんと国が税金を取る仕組み」ができたと、ミャンマー人は評価していた。

日本では少額収入事業者に益税の仕組みがあるが、コンビニでこのような印紙を売るのも益税を無くす仕組みの一つだろう。
国に益税を無くす気持ちがあるかないかだろう。
日本で消費税が10%になった時から個人タクシーや小さな食堂で1000円から1499円までだったら100円。500円から999円までだったら50円の印紙を貼ればよいのだ。
印紙が嫌ならちゃんと消費税計算をして申告すればよい。

最近、シャツの襟もとの糸がほつれる。上述の塩素系殺菌剤で消毒したからだろう。

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